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 お産サポートJAPANの岩手訪問 1日目     2011年7月27日(水) [東日本大震災]

 今年は大不作の中、いわえんさん渾身の立派な梅が先週届き、追熟させつつも、日曜日はお客様。月曜日まで待ってね~と声かけたら、ぷんぷんといい香りをさせてクサらずに待っててくれた。
                梅.jpg

 お客様は、NPO法人「お産サポートJAPAN」理事の小川さん(東京)と助産師の岡崎さん(滋賀)です。私が岩手で男性助産婦導入反対に奔走した時、一緒に闘った(!)全国の仲間で、うれしい訪問でした。

 お産サポートJAPANは2000年に全国で展開した男性助産婦反対運動の後に設立され、安心できる出産環境は国の政策を変えることからという趣旨に共感して、私も当初から会員になっています。(HPhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~osansupport/でその目的や活動内容、また5年前の会のシンポジウムで私や佐藤(助産師)が報告した岩手の現状も「資料」で読めます。)


 お産サポートは震災直後から物資支援も行なってきましたが、今回の訪問は、お産サポートで集まった支援金を被災地の母子保健や女性の支援に使いたいということで、現状調査と情報収集でした。

 2日間で、私の知る範囲の案内でどれだけ有効な調査が提供できるか?ですが、初日はまず「お産と地域医療を考える会」が協力している、花巻の被災妊産婦受け入れ事業を見学、産婦さんやスタッフの話を聞きました。その後、電車で盛岡に行って、「もりおか女性センター」センター長の田端八重子さんにお会いして、被災地の女性支援の活動を伺いました。日報の記事http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110502_14 

 もりおか女性センターは内閣府の助成を受けて、5月から被災地で女性が抱える問題や悩みの電話相談事業と岩手助産師会の協力で助産師が避難所に直接行ってマッサージや相談を行ってきました。心配されていた避難所での女性の性被害は阪神大震災より少なかったようですが、今後は、仮設住宅に入ってから、仕事の収入がないことで、密室でのDVや性虐待などの問題が増えるでしょうと心配されていました。

 田端さんは、長年DVや女性問題の活動を続けてこられた方で、その経験から出てくる言葉は明解で説得力があり、圧倒されました。また、「実はとてもタイムリーなんですよ!」と、被災地の女性の起業を応援するために、仮設住宅のお年寄りのお買物代行と安否確認を兼ねる仕事を女性たちの収入にという新たな事業が決まったばかりとのこと。ただ、これは助成金が来年3月までで、その7か月の間に地域で自分たちでどういう起業ができるかを考えてもらいますと。

 相手のニーズをきちんと把握して支援すること、自分たちで立ち上がるためにやりすぎないこと、寄付や助成の前に具体的な企画が先にあることなど、田端さんのお話はすごく参考になりました。

 小川さんは、「田端さんはすごい。表面的でないと思った。今まで、被災地支援の講演はたくさん聞いたけど、どれもどこか表面的で深く入ってこなかった。すとんと落ちた気がする。」とうなってました。

 田端さんの着実に女性に寄り添って支援している姿に、仮設住宅に入ってからの細やかな支援がより一層必要とされるのかなと感じました。私も夕方店を夫にまかせて行った甲斐がありました!土曜はちょっと心配だったけど、ほとんど来なかったみたい、お客さん(--〆ハハ、ヨカッタ?)。


 フェアトレードの支援のカタチ その2       2011年7月16日(土) [東日本大震災]

 先日、フェアトレード団体のツナミクラフトの東山高志さんがひょっこりお店を訪ねて来ました。
ツナミクラフトは、2005年のタイ・スマトラ沖地震大津波で被災したタイ南部の人々がつくった手工芸品を販売して自立を支援しています。

 いろいろな製品がありますが、今回の東日本大震災を知って、タイのお母さんたちがすぐに募金をはじめ、被災者のために「さをり織り」のリストバンドをつくりました。収益から被災地支援に使われます。

           リストバンド.jpg 

 「PRAY FOR JAPAN」日本への祈りをこめたバンドは、ひとつひとつ色合いの違う素敵なもので、古い時計を買ってバンドにつけたという人も。1本500円です。安い。

 「さをり織り」は、型がなく、織り手の自由な感性で織られるので、障害者の作業所などで行われていました。それを、JICA(日本国際協力事業団)のタイのプロジェクトで行っていたとき、岩手出身のカベサコ僧侶が自分のお寺の研修に導入し、そこに研修に来た津波被災地の担当役人が、心の傷を癒す効果と収入につなげるために「さをり織り」を被災者自立に始めました。

 映像作家の東山さんは、阪神・淡路大震災に被災した経験をもち、災害直後は大きく注目されても、時間がたつにつれて忘れられ、支援や復興事業が打ち切られ、自立する前に経済的に行き詰まることを身をもって知っていました。だから、津波被災者が民芸品で自活しようとしている活動に出会い、一時的ではない「続ける」支援を始めました。ツナミクラフトのブログhttp://blog.canpan.info/ideaeast/category_14/

             東山さん.jpg 
(写真がカーネルおじさんみたいに写りましたが、実際はもっと若いですよー(*^^)v)

 「仮設住宅に入ってからが、危ないんです。避難所にいた緊張が溶けてホッとしたり、落ち込んだりして、亡くなる人も多いんです。また、助けてあげたいと思っても、助けられない。ボランティアで支援に頑張って、精神的に参る人もいます。大事なのは、いつも忘れないように、電話や手紙でも声をかけたりすることです」

 これまで、東山さんは空港でタイからの支援Tシャツの受付を行い、やっと岩手に来れました!と、今回は、あちこち回ってみて、宮古市社会福祉協議会が「さをり織り」の研修を受け入れてくれたとのこと。このリストバンドも、宮古の社協でテスト販売しています。現地では、秋から研修に回ります。

 「フェアトレードが国内の被災地でも支援できるということを広く知ってほしい」と、熱い東山さん。


 このリストバンド、うちにある分は18日(祝・月)の森の音・感謝祭でも持っていきます。フェアトレード商品の販売のほか、ネパール・カレー(チキン・ベジタブル)も作って出します!久々のイベント調理だなあ!(^^)!。おいしいよー。500円で約40食限定。女子サッカーの決勝戦見て、朝仕込むぞっ。

 森の音さんでは、焼き鳥やフランクフルトなどを無料でふるまい(その分の寄付を義援金にあてます)、景品があたる抽選や木工クラフト体験、コンサートなど楽しい催しがいっぱいです。皆さんお気軽にお越し下さい。詳細は森の音ホームページで→http://www.morinone.co.jp/event.html#11

             森の音.jpg感謝祭チラシ

 お店は、17日(日)昼頃から臨時営業します。19日(火)は休みます。
 イベントの18日(祝・月)は、やるかやらないかは夫の都合次第なので、当日お電話下さい(^_-)。


 フェアトレード団体の支援のカタチ          2011年7月10日(日) [東日本大震災]

 毎日暑いですね!じっとしてるだけでも、汗が出る。昨年の異常な暑さが蘇ってきました。ブログが遅くて、ネタが古くなるのでまずいまずい。夕べ頑張って書いたところで、また消えて!目が点。寝た。

 このネタやめようかと思ったけど、やっぱり、5~6月の県外からの来訪者を簡単に紹介します。それが、彼らの支援の動きも伝えることになるからね。今まで消えたのは、大体書きすぎて長かったりして。
  (※青梅入荷のため、本日午後1時頃から5時頃まで営業します)


 東京からの若い青年2人は、「セカンド・ハーベスト(2H)」の蓜島さんと「フェアトレード・カンパニー」の勝元さん。2Hは、私もはじめて知ったのですが、十分食べれるのに廃棄される食糧を、必要とする人々に渡す団体です。被災地支援も続けていて、途中で寄ってくれました。蓜島さんは、えらく、おいもの店の外も中も感動し、ほめてくれて、うれしかった。二人のさわやかな写真が、間違ってデジカメで消してしまい、ごめんね。2Hの被災地支援活動もぜひ見て下さい。http://www.2hj.org/index.php/jpn_home


 元気な若い3人娘は、「ネパリ・バザーロ」のスタッフ高橋さんと内藤さんにボランティアの中島さん。釜石のボランティアに、仕事を終えた土曜の夜行バスで来て、日曜の夜行バスで帰るというタフさ。帰りのバスまでの時間にお店に寄ってみたいというので、夕ご飯も一緒に食べて飲みました。           
                ネパリ3人娘.jpg
 毎週精力的に横浜から被災地に駆けつけるネパリのスタッフらしく、ニコニコと「こういうことに(自腹で支援に動き、現地のお店で買物したり)お金を使うのがうれしいんです!」と買物もたくさんしてくれ、考え方も若いのにしっかりしていてホント感心しました。ネパリのブログはおいものトップページから。
また、このブログからも彼女たちの元気さがわかります。→http://fwinds.jp/mail-magazine/249nepali.html


 先月末の雨の中、フェアトレード団体でショップの「ぐらするーつ」の代表の鈴木さんとスタッフの佐藤さんが、東京から東北のフェアトレード・ショップの応援にと、フェアトレードの食品や雑貨の支援商品を届けに来てくれました。http://grassroots.jp/
               ぐらす.jpg

 2~3日で茨城・福島・宮城・岩手の9件のお店を車で回って様子を聞きながらの訪問でした。震災後すぐ義援金を集めていたぐらするーつは、やっと今回お店を訪問します!と各団体やショップに声をかけたら、たくさんの支援商品が集まったのです。頂いた商品は、早速支援セットなどもつくり、支援にあてます。有難うございました。

 今回の震災で、今まで途上国の底辺の人々の貧困改善に活動してきたフェアトレード団体が、すぐに国内の被災者支援に取りくむ姿勢に、あらためていい業界だなあと思いました。
 ぐらするーつのメルマガで今回物資提供してくれた団体さんなどを紹介していたので、転載します。



 フェアトレード団体が取り組む支援のカタチ 
―――――――――――――――――――――――――
各フェアトレード団体でも被災地支援の活動を行っています。海外での緊急支援活動の
ノウハウを生かした活動を行う団体、地域に根ざした活動を行う団体、支援のカタチは様々ですが
いくつかをご紹介します!


パルシック
http://www.parcic.org/
小規模な避難所をまわり、小回りのきいた活動を行なっています。今後は石巻市にて、
スリランカの漁村ジャフナでの活動経験を活かした、漁村の再建支援を行なう予定です。

パレスチナ子どものキャンペーン
http://ccp-ngo.jp/
岩手県大槌町で「東北子ども支援」として、子どもたちの心理サポート、生活物資支援、
写真の清掃・返却の活動を中心に、被災された方々と共に行なう支援活動に力を入れています。

ピースウィンズ・ジャパン
http://www.peace-winds.org/
現在は岩手県一関市を拠点に、仮設住宅入居者への物資提供、子どもたちの心のケア、
経済復興支援を活動の柱に活動を継続しながら、福島県産の農産物の販売を通じての
支援にも取り組まれる予定です。

シャンティ国際ボランティア会
http://sva.or.jp/
宮城県気仙沼市を拠点に、人々の衣食住のサポートや地域復興の支援活動を行なっています。
今後は被災地と全国をつなげるイベントなどの活動も展開される予定です。

シャプラニール=市民による海外協力の会
http://www.shaplaneer.org/
地元のNPOと連携し、茨城県北茨城市から活動を開始、現在は福島県にて
いわき市災害救援ボランティアセンターの運営支援を行っています。

ネパリ・バザーロ
http://nbazaro.org/wordpress/
釜石市にて街づくりの構想、“どんぐりとうみねこ村”プロジェクトを支援、石巻市沿岸部での
自宅避難者や、避難所から自主退出された方々への生活物資支援などを行っています。

第3世界ショップ
http://www.p-alt.co.jp/asante/
岩手県への救援物資の回収や配達、「東北応援あさ市」などの企画を通して周囲に
呼びかけ、現在は「市民復興トラスト」と称する、地域の仕事作りを目的とした活動を行なっています。


こちら以外にも、物資の支援や義援金募金などの活動を多くの団体が行っています。



 義援金の使い方~花巻市議会を傍聴せよ    2011年6月22日(水) [東日本大震災]

 緊急のお知らせです。花巻市議会議員の増子義久さんのよびかけです。

 明日23日の午前10時に花巻市議会を傍聴できる方は、ぜひおでかけください!

 花巻市への義援金を、一部の企業に助成金として使う案が出ていて、増子議員が明日追及します。
 
 義援金は約4000万円。そういえば、前に新聞で、義援金から花巻市内の全壊家屋1件に10万円、半壊家屋数件に5万円のお見舞金とあって、ひとケタ違うんじゃないの?と目を疑いました。あとのお金は市で使うようなことが書いてあり、どういう使われ方をするのかにすごく疑問を持ちました。

 「善意で集まった義援金が被災者に使われなくて、使途不明瞭な使われ方を追及する!花巻市民はもっと市のやり方をチェックして、おかしいことは追及しなきゃ!」と増子さん。


 花巻は、合併して10万人の人口ですが、市民が100~200人規模のイベントにちょうどいい会場がなくて、お隣りの北上市のさくらホールが新しく人気でいつも満杯状態。うちのお産の会もそっちでやったり(--〆)。
 
 不況で観光客も落ちてて、路線も少ないのに、花巻空港を移転新設したり、すでに立派な総合体育館があるのに、昨年から20億円もかけて第二体育館を建設している!

 花巻市図書館も古くて、狭くて、新しい本が少なくて、私のまわりでは、「体育館の前に図書館でしょ!」と怒り。市民は何にも知らされないまま、予算が通っていくので、市長も市長だけど、市議は市民の声を聞いているのと、言いたくなる。

 「くさった花巻を変えたい!」とのたまう元新聞記者で新進気鋭の増子議員の追及に市がどういう対応をするのか、ぜひ見てきてください。増子さん「ゆいっこ」の事務局長で支援活動をしています。ブログ http://samidare.jp/masuko/


 ネパリの温泉日帰り招待ツアー         2011年5月30日(月) [東日本大震災]

 昨日の日曜日は、早起きして宮城県の東鳴子温泉に日帰りで行ってきました。ネパリ・バザーロの支援活動のやじうまお手伝いです。詳しくはネパリのブログで。http://nbazaro.org/wordpress/

 先週は、夜は娘の部活の総会やお産の会、昼に放射能勉強会と連日続いて忙しい1週間で、少々疲れていましたが、お誘いも頂いていて、ちょうど他の予定もなく、エイヤッと新幹線を使って行きました。

 会場の東鳴子公民館の玄関前の山あいの春もやの景色。
                 風景.jpg

 横浜からネパリスタッフ・ボランティアが十数名駆けつけ、旧知の栗原市の器とカフェのカントリーストアの広田さんの仲間と私、総勢23名が公民館の調理室で朝9時からたくさんの献立を作りました。

 たっぷりお肉のウシャさんのチキンカレーの準備です。
                 ネパリ料理.jpg

 広田さん夫妻は4種のピザを焼いて大好評。これは、バジルとシーフード。私はキーマカレーを担当、広田さんの指示と下準備のおかげで簡単にネパリのマサラでおいしくできました。ヽ(^o^)丿
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 石巻から大型バスで到着した53名の方たちは、ネパリから温泉セットと湯めぐりチケットをもらって午前中温泉めぐりをして、12時からネパールカレー、おこわ、ピザ、煮物、あえ物、唐揚げ、フライ、サラダ、デザート、ビールや飲みものなどをバイキングにして、皆さんにお腹いっぱい食べてもらいました。

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 ネパリ持参のネパールのお皿が大きくて、バイキングにぴったりですが、おかずが盛りきれないほど。
「こんなうまいカレー生まれてはじめて食べた!」という若い男性の声に厨房は歓声です。!(^^)!           
                 プレート.jpg
 
 食後はシャンソン歌手水織ゆみさんの歌を聞きました。水織さんは、6月1日に東京でチャリティコンサートがあり、youチューブで午後3時と7時に配信されるそうです。6月17日はイギリスでコンサート。30年前に大会で優勝されて、その実力と敬愛する越路吹雪さんのような歌声で涙する人もいました。

                 水織ゆみ.jpg

一見皆さんくつろいで元気そうなお顔ですが、私も食べながら参加者とお話を聞くことができました。

 「周りはみんな、親兄弟が流されたんだよ」
 「生きていても大変、死んでた方がよかったと言う人もいる・・・」
 「津波の時学校の3階に皆で逃げて、3日間孤立して、寒くて眠れず、水もなく食糧もかっぱえびせん1人2つとかで、子どもたちは死んでしまうのではないかと思った」
 「今も車で海の方の道を走ると、子どもが『お母さん、ここは津波が来ない?』って何度も聞くの」
 「エコポイントだったか、昨年買ったばかりの新車を流され、借金だけ残って・・・」
 「泣いても泣いても、涙が枯れるということはないのね」
 
 皆さん、大変な痛みを抱えながらも気丈に振舞っていて。でも今は心の問題が出てきていると。

 残ったお料理はネパリが用意したタッパ-に詰めて、靴や服のおみやげを手にして、皆さんが到着した時と帰る時の表情は本当に違いました。何度も感謝されて、バスの中からいつまでも手を振っていました。

 あらためてネパリの支援の力に感嘆しています。私はこの1ヶ月支援と離れていました。震災後落ち着かず、4月に2回被災地の友人に会って少し安心してからは、厳しくなっていたお店と今年進路で揺れる2人の娘のことなど自分の生活の立て直しに専念しました。
 何かと忙しい5月でしたが、少しずつ落ち着いてきて、6月はまた徐々に支援の方も考えてと思っています。県外の友人たちも「何かできることは?」と言ってくれて有難く申し訳なく、もうちょっと気長に待っていてくださいね。

 カントリーストアの広田さんとは何年ぶりでしょう。6年前、3年前の宮城県沖地震で周囲も被災し、今回が3回目の地震。私が思うように支援に動けていないと話すと、「いくら直接の被災でないといっても、同じ県内にいる地元というだけで、私たちも被災者なんだよ。内陸にもいろんな影響が出ているもの。今は遠くの人たちが支援にきてくれていいの。これは5年も10年もかかるから、地元はずっとつきあっていかなきゃいけない。焦らなくていいから、今は無理しないで。これから必要とされるから」


 広田さんの友人の千葉さんが元気で明朗で看護師師長で助産師とわかり、栗原市の3つの公立病院で出産ができない状況を聞いて、出産環境の問題で話が盛り上がり、うれしい出会いでした。ちょこっとお手伝いに駆けつけたのが、逆にネパリと広田さんから力と励ましをもらって帰った定休日でした。

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 原発と放射能を学ぶ勉強会             2011年5月28日(土) [東日本大震災]

 きのうの午前中、おいものせなかで、原発と放射能を学ぶ勉強会を行いました。

 放射能に不安をもつ若いお母さんたちが盛岡や遠野から12組参加して、田中優さんの北上での講演会の映像を視聴してフリートークに入りました。

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 田中優さんの講演はとても分かりやすく、原発事故、放射能の影響や被爆のこと、電気料金のしくみ、自然エネルギーへの具体的な展望など、最後は希望が持てる内容でした。皆さん子どもをあやしながらも、熱心にメモをとったり、真剣に聞いていました。

 自己紹介でも、すでに知識や情報を得て放射能に気をつけている方は、食生活も味噌や醤油などの発酵食品を多くとるようにしたり、洗濯ものも外に干すのもためらっていました。

 これは最近入荷した、食生活から放射能対策に役に立つ情報の雑誌。24頁580円。

                  日本食が救う.jpg

 小出裕章 ・ 広瀬隆 ・ 田中優 ・ 飯山一郎 (敬称略) 各氏検索で原発情報が得られます。
 また、下記のブログもおすすめ。
 カナダde日本語 http://minnie111.blog40.fc2.com/
 和順庭の四季おりおり 5/27 http://wajuntei.dtiblog.com/

 下記は、参加者からの情報です。岩手でおそらく一番放射能の問題に詳しく、福島原発後も情報収集に奔走している永田文夫さんの原発勉強会です。6月22日(水)午前10時~盛岡いわて生協青山

                  永田.jpg
 

 放射能と自然エネルギーを学び語る会       2011年5月24日(火) [東日本大震災]

 お知らせです。うちのお客さまの企画です。

 以下、情報転載 

 こんにちは。風薫る季節、心地よい風も、目にみえないものに不安を感じてしまいますね。

 先日の北上で行われた田中優さんの講演会は、夜だったこともあり、小さなこどものいる私たちには、参加が難しく、残念に思っていました。

 今回、おいもさんのご協力により、主催者の方からDVDを貸していただき、みんなで講演会を聞き、その後情報交換しながらおしゃべりできる時間を企画しました。おしゃべりタイムでは、新田さんがアドバイザーになってくれます!普段なんとなく不安に感じていることや、『みんなどうしてる?』ということを、小さなことも、共有できたらと思っています。どうぞご参加くださいませ。

  『放射能と自然エネルギーを学び語る会』

  ・5月27日(金)10時~13時(自由解散)
      
  ・花巻 おいものせなかフリースペースにて

  ・参加費 500円(おいもさんの被災地支援資金に全額寄付します)

  ・持ち物 飲み物やお弁当
 
  ・申し込み 千田(前日までにお願いします。スペースが限られますので、お早めに)


 ー田中優さんのプロフィールー
1957年東京生まれ。未来バンク事業組合理事長、足元から地球温暖化を考える市民ネット理事。地域の足元からの活動と国際的な活動をリンクさせ、国内外の幅広いネットワークを利用し、講演・執筆・ネットワーキング活動等を通じて、平和・環境・持続可能な社会作りの活動をしている。
                                                   以上
 (*^_^*)おいもから・・・

 今回の企画は、月末に里帰り出産する前にぜひという方の要望を受けて、急きょ企画されました。
 おいもつながりの自然派ママたちが集います。お店は通常通り営業しています。


 おれ、見つかんねえ方がいかったー       2011年5月8日(日)  [東日本大震災]

 昨日のブログの、Oさんに今日内容の確認をしたら、若干の間違いがあり、訂正しました。
早く更新しなければと焦りもあって、失礼しました。よかったら、直した昨日分を読み直してくださいね。


 今日、陸前高田で被災した高田高校で教員の友人が震災後初めてお店に来てくれた。
5月2日から学校が始まった。1か月前に高田に会いに行った時に、ノートとペンがほしいと言っていたが、十分集まったという。その後の積もる話をあれこれ。

 大船渡教会に何回も支援に通っていたという、牧師のお客さんも来店して、話が盛り上がる。


 高田高校に、津波で太ーい松の木が根こそぎで何本も流れてきて、「一体どこの家からこんな太い松が来たのか!?」と言ってたら、他の先生が、「何言ってんの、高田松原の松だよ」と。
 
 高田高校は全壊、すべての生徒資料も流されて、先生ががれきの中から見つけた新2、3年生の成績表。泥を落として、全部パソコン入力して、3月25日の登校日に、「ここまで復元したよ!」と生徒に見せたら、生徒は、「せんせい、おれ、見つかんねえ方がよかったー」

 また、ちゃらんぽらんだった生徒も、震災後はまったく顔が変わったという。


 陸前高田の人たちは、平地が多く、壊滅といわれるが、ここにまた住みたいと言う人が多いという。
夏祭りの「けんか七夕」にかける市民は熱くて、こんな時でももしかして祭りをやるかもしれないねと。

 いまだに水道は復旧していない。電気、ガスもようやく最近通ったところもある。そんな中でも、高田の人たちは、すごい生きる力があるよねと。食糧とエネルギーは自給したいと宣言している人もいるとか。


 何にも失くなっても、いや、失くしたからこそなのか、つよくて、たくましいな。

  

 被災地で‘さんま隊‘ボランティア          2011年5月6日(金) [東日本大震災]

 今年のG.Wは、例年より遅い桜のおかげか、花巻は桜が満開でした。

 おいもの庭の木もやっと葉が出たと思ったら、早くもアメリカザイフリボク(ジューンベリー)が一番乗りに、可憐な白い十字の花を咲かせました。赤い、甘い実がなるんですが、高くて実が取れないうちに鳥に食べられちゃう。
                アメリカザイフリボク.jpg
 
 
 5月3日に、東京の古いおつきあいの取引先スタッフOさんが、はじめておいもにやってきました。
その1週間くらい前に、「GWにお店に行きたいし、被災地も行きたい」といろいろ聞いてきました。まだ交通手段も確保できてなかったけれど、私の「来て来て」という言葉に後押しされて、すぐ切符をとったとのこと。

 それから、えらいなあーと思ったのは、4日のたった一日のボランティアのために自分でいろいろ調べて、連休の混雑で受入れ団体も二転三転したけれど、何とか「遠野まごころネット」に決まり、寝袋かついで新幹線で。とにかくおいもを訪ねるのも目的だったというので、有難いことです。


 「今回は準備しているうちに、海外旅行みたいな気分になって(苦笑)。国内旅行だと大体スムーズにいくけど、今回は、ボランティアの受入れ先の状況が電話する度に変わって。行く前からまだ体制も整っていない被災地やその周りを感じました。でも電話しても、みなさん丁寧にお話してくれて疲労困憊の中なのに感服しました」


 遠野は沿岸被災地の拠点になっていて、宿泊施設はどこもいっぱいで、ボランティアに体育館を開放している。3日の夕方に入り、5時半から7時まで、約250人ほどのボランティアでミーティングがしっかり行われた。リーダー格の人も数日前に入ったボランティアで、実にしっかりとボランティアのシステムがなされているのに感心したそうだ。ちなみに男性は体育館、女性は畳の広間で快適だったけど、朝目が覚めたら、びっしりと寝ていてびっくりしたとか。

 翌朝バスで出発して、陸前高田に向かった。彼女はさんま隊といって、水産加工会社の冷凍倉庫から放り出されたさんまなどの海産物を、がれきの間から、ひとつひとつ手で(トングを使って)拾う作業だ。「足もみやマッサージなどもある、当日の挙手制で、私はせっかくだから現場に行きたい、見ておきたいという気持ちでさんま隊を選びました」
 
 防塵マスクを2重にしても、まだ匂うほどの異臭で、カッパにも染みつく。遠野で買った長靴は、更に中敷を買わないと、釘を踏んだりして危ない。「まだ、周りにアルバムや写真が落ちていたんです…」


 かなりがれきの撤去は進んでいるというが、まだまだで、人手はいくらあってもいい。でも、連休が終わると、ボランティアは激減する。「夜行バスもあるし、宮城だと日帰りボランティアバスもあるらしいし、また来てね」と私は言った。忘れられないためにも。そして、今度は岩手の温泉も楽しんでね。来てくれて、ありがとう。


 おいもの木は一斉に芽吹いて、若い葉がまぶしい。木々の葉でアラが隠せ、やっと外観が写せます。
 まわりはへんてつもない住宅街で、うちは少し異色かも。来てがっかりしないようにねー。

            
              店外観.jpg




 整然とした田老の避難所          2011年4月29日(金) [東日本大震災]

 先日、今年の春夏展示会が無事終わり、ホッとしました。いつもよりお客さまが少なかったけれど、楽しみに目指して来られた方もいて、有難かったです。実はまだ、ベルダの服を中心に展示しております。

 今ちょっと疲れが出てきて、ブログの更新も休んでいました。午前様になってしまうので。(-_-)/~~
 でも、19日の大槌の避難所の後に田老に行ったときのつづきを簡単にお伝えします。

 私が気になっていた田老町在住の黒田さんは、4月に入って連絡がとれ、無事を確認できたものの、家も車も流されて、3人の子どもと避難所に身を寄せていました。ようやく会いに行けて、何か支援したいと励ますつもりが、かえって、彼女のしっかりした様子に、こちらが励まされたくらいでした。自分は非力だ。

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 田老町は、防災の町として知られ、かつての大津波の経験から、10mものスーパー防波堤を要塞のようにぐるっと作っていましたが、それも今回の津波ではあっけなく壊されてしまいました。

 避難所は今、広いアリーナのような施設に集約され、各世帯に段ボールで仕切りができ、ワンフロアにイベントスペースや子どもルーム、勉強スペースなどがあり、整然としたきれいな感じでした。

            田老避難所.jpg

 田老には、タイマグラのフィールドノートの陽子さんや「タイマグラだより」のちほちゃんたちが、絵本を届けたり、子どもルームを整理したりに行ってたとのこと。その前に訪れた大槌の城山避難所を思い出すと、まだまだ雑然として大変な感じがしました。訪れた避難所もまだ3か所ですが、地域によって、運営する人によって、環境が随分ちがうなと思いました。

 帰りは吹雪で、一面雪景色です。桜も咲いている4月下旬というのに!
               雪景色.jpg

 避難所で体調を崩して、咳をしている人もいると聞いて、安士さんから頂いた蜂蜜で、喉にいい大根蜂蜜を
たくさん作って、蜂蜜と一緒にあげました。安士さんの貴重な蜂蜜はちゃんと届けたるからね!

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 花巻はいま、桜が満開です。今年は寒くて、例年より1週間以上遅いです。

 東京の取引先の若いスタッフの女性が、何ができるかわからないけど、連休に岩手に来たいと。
各地でボランティアセンターも色々あるし、でも気負わずに自分の目で見に来た方がいいです。

 これから被災地の復興に何かしたい、一緒に長く考えていきたい思ったら、今のうちにぜひ来てみて。
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