おいものせなかだより3・4月 2025年3月20日(木・祝) [おいものせなか通信]
こんばんは。全然ブログを更新できず、毎日覗いてくださる方に本当にごめんなさい。
体調が回復して、ようやく通信に取り組みましたが、急きょウラコラムを図書館問題にしたので、原稿書きは連日連夜奮闘してやっとできました。そっちで疲れ果てて、ブログ書けませんでした。ウラコラムは内容がブログと重複しますが、図書館カテゴリーで別にUPします。
4月6日の暮らしと政治の勉強会のお知らせが大変遅れました。ぜひ、横沢さんのお話会にご参加ください。
4月は、周年記念セールや春夏展示会などイベント目白押しです。

体調が回復して、ようやく通信に取り組みましたが、急きょウラコラムを図書館問題にしたので、原稿書きは連日連夜奮闘してやっとできました。そっちで疲れ果てて、ブログ書けませんでした。ウラコラムは内容がブログと重複しますが、図書館カテゴリーで別にUPします。
4月6日の暮らしと政治の勉強会のお知らせが大変遅れました。ぜひ、横沢さんのお話会にご参加ください。
4月は、周年記念セールや春夏展示会などイベント目白押しです。

おいものせなかだより1.2月 2025年1月16日(木) [おいものせなか通信]
おいものせなかだよりができました。半月遅れました。
今号のウラコラムはハピスコーヒーさんの能登支援報告をまとめたものです。12月30日にカンパしてくれた方にお礼の報告として丁寧な文書が届いて、おいものブログでもぜひ載せて、今年の支援活動のカンパを募りたいとお願いしたら、リアルな経費の部分を削除したおいも用にまとめてくれました。それを更に一部短縮して紙の通信のウラコラムに載せ、もう少し詳しい報告は明日ブログに載せます。


今号のウラコラムはハピスコーヒーさんの能登支援報告をまとめたものです。12月30日にカンパしてくれた方にお礼の報告として丁寧な文書が届いて、おいものブログでもぜひ載せて、今年の支援活動のカンパを募りたいとお願いしたら、リアルな経費の部分を削除したおいも用にまとめてくれました。それを更に一部短縮して紙の通信のウラコラムに載せ、もう少し詳しい報告は明日ブログに載せます。


おいものせなかだより11・12月 2024年11月14日(木) [おいものせなか通信]
おいものせなかだより11・12月号がようやく発行できました。

ウラコラム 2024年11月14日
人がやることとは思えない!~イスラエルとパレスチナ
イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド(大量殺りく)で、2023年10月からこの1年間でガザのパレスチナ人の死者4万人以上、餓死者6.7万人も含めると10万人以上の死者。7割は女性や子ども。住民の避難所や病院も爆撃した。薬もない、医療者も拘束されて、骨が飛び出た子どもに手術もできない。それは今に始まったことではない。私は20年以上パレスチナ支援のオリーブオイルのフェアトレード販売をしてきたが、何もわかっていなかった。そんな私(たち)の無知と無関心が、76年間に及ぶイスラエルの占領と暴力、戦争犯罪を許し放置してきたのではないか。
もともとパレスチナではアラブのキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共に暮らしていた。しかし19世紀後半以降、ヨーロッパのユダヤ人の間で始まった「シオニズム運動」(ユダヤ人国家建設を至上価値に民族主義運動)により、パレスチナへのユダヤ教移民が急増する。1947年国連分割決議案で、当時6%しか土地を所有していなかったユダヤ人に57%の土地を与えると決まった。その中にはヨルダン渓谷等、水資源が豊かで農業に適した土地や港町が含まれていた。アラブ側は決議案を拒否したが、ユダヤ人側は受入れ、翌年建国を宣言して1948年5月にイスラエルを建国。ユダヤ人武装組織はアラブの村を襲い、住民を虐殺。この時531村が破壊され、70万人が難民となる。この出来事をパレスチナの人々はナクバ(大災厄)と呼ぶ。状況が落ち着いたら帰れると思っていた人々は着の身着のまま逃げた。
※1948年12月国連総会で「難民の帰還権」が可決。しかしイスラエルはこれを認めおらず、パレスチナ難民は未だに故郷に帰ることができていない
1948~49年第一次中東戦争でアラブ連盟との間で闘われた戦争の結果、イスラエルは国連分割案よりも多くの土地を手に入れた。1967年第三次中東戦争で圧勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原を占領。パレスチナの土地は0%になり、この戦争で新たに35万人以上が難民となる。1993年オスロ合意でパレスチナとイスラエルの和平協定が結ばれたが、イスラエルは協定を無視し、ユダヤ人入植地を増やして和平でなく占領体制を恒久化した。イスラエルによるパレスチナ人の民族浄化は時間をかけて継続し、今もなお進行中だ。
※民族浄化とは、虐殺、追放などで、特定の民族をその空間から排除すること。第二次世界大戦中のドイツナチスによるユダヤ人のホロコーストがそれである。
ユダヤ人入植地とはイスラエルが占領した土地に建設されたものを指し、国連は入植地の建設は国際法違反としているが、イスラエルは占領地への入植を拡大し、約70万人の入植者がいる。入植者からパレスチナ人コミュニティへの暴行、銃撃、家屋破壊、放火等、過去10年間で3372件の入植者による暴力事件が発生。イスラエル治安部隊もこの暴行に積極的に加担し、恣意的に拘束をする。農業に適し水資源も豊富で肥沃な、パレスチナ農民の農地は奪われ、移動の制限や外出禁止令、住民は日常的に水や電気、医療、教育などを妨害されている。
2002年イスラエルが、防御壁という名目で高さ約8mのコンクリートブロックや電流フェンス等を建設した。分離壁(アパルトヘイト・ウオール)には数百mごとに監視塔が立つ。2004年国際司法裁判所は「分離壁の建設は国際法違反である」との勧告を出し、壁の即時撤去と、既に生じているあらゆる損害に対しての賠償を認定したが、イスラエルはその勧告を無視し続けている。ガザは長さ50㎞、幅5∼8㎞の小さな地区に人口230万人、8つの難民キャンプがあり、人口の75%が難民。周囲を軍事フェンスで囲まれ、イスラエルに完全封鎖されたガザは、「天井のない監獄」と呼ばれる。封鎖とは、人と物資の出入りが著しく制限され、経済基盤が破壊され、失業、貧困、栄養失調が起きている。数年に一度イスラエル軍は大規模なガザ攻撃を繰り返し、農地、漁港、発電所、病院、学校等を徹底的に破壊してきた。昨年10月7日ハマスの越境攻撃は、拘束されている4500人のパレスチナ人の解放を求めてといわれる。イスラエルはハマスによるテロとみなしテロ集団壊滅を目指して報復していると報道されるが、ハマスはテロ組織ではない。住民に選挙で選ばれた政党で、紛争の被災者や子どもの教育等福祉に携わる社会事業団体である。
2018年、ガザで「帰還の大行進」という非暴力の平和的デモが行われた。難民となった「ナクバ」から70年目の節目に、ガザを統治するハマスほかガザの様々な党派が一緒になって呼びかけて、イスラエルとの境界付近を行進する。この大行進で掲げられた主張は3つ。①難民の帰還の実現 ②国際法違反であるガザ封鎖の解除 ③当時トランプ大統領が国際法を踏みにじってアメリカ大使館を聖地エルサレムに移転し、首都と見なしたことへの抗議。その平和的デモにイスラエル軍は銃撃し、死者150人、医療者・子どもを含む負傷者1万人が出た。イスラエル軍は意図的に若者の脚を狙い、片足ないし両足を切断させて障がい者にするという戦略。それも病院には麻酔がないから、麻酔なしで切断する。
2024年10月28日、パレスチナ難民への人道支援を担うUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の活動禁止がイスラエル国会で可決された。活動にはイスラエル側の許可が必要なことから、人道支援物資の配布や医療活動などが大幅に制限される恐れがある。先進国7か国の外相は法案を懸念する共同声明を出している。米国はイスラエルにこの間約3兆円の武器支援をしている。日本の年金がイスラエルの国債やイスラエルに加担する企業の投資に数千億円も使われている。イスラエル支援企業の不買運動や署名、寄付、発信、フェアトレードなど、私たちにできることはある。2024年10月イスラエルはハマスの指導者や連帯するヒズボラの指導者を次々殺害し、それを支援するイランの軍事施設を攻撃した。日本は中東に90%石油を依存している。他人(ひと)ごとではない。おいものブログではパレスチナ支援の多様なサイトを紹介する。
参考文献「ガザとは何か」(岡真理)、「ハマスとガザ戦争」(高橋和夫)、週刊金曜日10/4「イスラエル止まらぬ虐殺と破壊」、マクルーバ「知ってつながる資料編」
パレスチナを知る、支援するサイトについては、明日以降紹介します。参考にした本と資料から抜粋した文章でまとめさせてもらいました。足りないことろも多いと思います。何かご意見やご助言がありましたら、ご連絡ください。

ウラコラム 2024年11月14日
人がやることとは思えない!~イスラエルとパレスチナ
イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド(大量殺りく)で、2023年10月からこの1年間でガザのパレスチナ人の死者4万人以上、餓死者6.7万人も含めると10万人以上の死者。7割は女性や子ども。住民の避難所や病院も爆撃した。薬もない、医療者も拘束されて、骨が飛び出た子どもに手術もできない。それは今に始まったことではない。私は20年以上パレスチナ支援のオリーブオイルのフェアトレード販売をしてきたが、何もわかっていなかった。そんな私(たち)の無知と無関心が、76年間に及ぶイスラエルの占領と暴力、戦争犯罪を許し放置してきたのではないか。
もともとパレスチナではアラブのキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共に暮らしていた。しかし19世紀後半以降、ヨーロッパのユダヤ人の間で始まった「シオニズム運動」(ユダヤ人国家建設を至上価値に民族主義運動)により、パレスチナへのユダヤ教移民が急増する。1947年国連分割決議案で、当時6%しか土地を所有していなかったユダヤ人に57%の土地を与えると決まった。その中にはヨルダン渓谷等、水資源が豊かで農業に適した土地や港町が含まれていた。アラブ側は決議案を拒否したが、ユダヤ人側は受入れ、翌年建国を宣言して1948年5月にイスラエルを建国。ユダヤ人武装組織はアラブの村を襲い、住民を虐殺。この時531村が破壊され、70万人が難民となる。この出来事をパレスチナの人々はナクバ(大災厄)と呼ぶ。状況が落ち着いたら帰れると思っていた人々は着の身着のまま逃げた。
※1948年12月国連総会で「難民の帰還権」が可決。しかしイスラエルはこれを認めおらず、パレスチナ難民は未だに故郷に帰ることができていない
1948~49年第一次中東戦争でアラブ連盟との間で闘われた戦争の結果、イスラエルは国連分割案よりも多くの土地を手に入れた。1967年第三次中東戦争で圧勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原を占領。パレスチナの土地は0%になり、この戦争で新たに35万人以上が難民となる。1993年オスロ合意でパレスチナとイスラエルの和平協定が結ばれたが、イスラエルは協定を無視し、ユダヤ人入植地を増やして和平でなく占領体制を恒久化した。イスラエルによるパレスチナ人の民族浄化は時間をかけて継続し、今もなお進行中だ。
※民族浄化とは、虐殺、追放などで、特定の民族をその空間から排除すること。第二次世界大戦中のドイツナチスによるユダヤ人のホロコーストがそれである。
ユダヤ人入植地とはイスラエルが占領した土地に建設されたものを指し、国連は入植地の建設は国際法違反としているが、イスラエルは占領地への入植を拡大し、約70万人の入植者がいる。入植者からパレスチナ人コミュニティへの暴行、銃撃、家屋破壊、放火等、過去10年間で3372件の入植者による暴力事件が発生。イスラエル治安部隊もこの暴行に積極的に加担し、恣意的に拘束をする。農業に適し水資源も豊富で肥沃な、パレスチナ農民の農地は奪われ、移動の制限や外出禁止令、住民は日常的に水や電気、医療、教育などを妨害されている。
2002年イスラエルが、防御壁という名目で高さ約8mのコンクリートブロックや電流フェンス等を建設した。分離壁(アパルトヘイト・ウオール)には数百mごとに監視塔が立つ。2004年国際司法裁判所は「分離壁の建設は国際法違反である」との勧告を出し、壁の即時撤去と、既に生じているあらゆる損害に対しての賠償を認定したが、イスラエルはその勧告を無視し続けている。ガザは長さ50㎞、幅5∼8㎞の小さな地区に人口230万人、8つの難民キャンプがあり、人口の75%が難民。周囲を軍事フェンスで囲まれ、イスラエルに完全封鎖されたガザは、「天井のない監獄」と呼ばれる。封鎖とは、人と物資の出入りが著しく制限され、経済基盤が破壊され、失業、貧困、栄養失調が起きている。数年に一度イスラエル軍は大規模なガザ攻撃を繰り返し、農地、漁港、発電所、病院、学校等を徹底的に破壊してきた。昨年10月7日ハマスの越境攻撃は、拘束されている4500人のパレスチナ人の解放を求めてといわれる。イスラエルはハマスによるテロとみなしテロ集団壊滅を目指して報復していると報道されるが、ハマスはテロ組織ではない。住民に選挙で選ばれた政党で、紛争の被災者や子どもの教育等福祉に携わる社会事業団体である。
2018年、ガザで「帰還の大行進」という非暴力の平和的デモが行われた。難民となった「ナクバ」から70年目の節目に、ガザを統治するハマスほかガザの様々な党派が一緒になって呼びかけて、イスラエルとの境界付近を行進する。この大行進で掲げられた主張は3つ。①難民の帰還の実現 ②国際法違反であるガザ封鎖の解除 ③当時トランプ大統領が国際法を踏みにじってアメリカ大使館を聖地エルサレムに移転し、首都と見なしたことへの抗議。その平和的デモにイスラエル軍は銃撃し、死者150人、医療者・子どもを含む負傷者1万人が出た。イスラエル軍は意図的に若者の脚を狙い、片足ないし両足を切断させて障がい者にするという戦略。それも病院には麻酔がないから、麻酔なしで切断する。
2024年10月28日、パレスチナ難民への人道支援を担うUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の活動禁止がイスラエル国会で可決された。活動にはイスラエル側の許可が必要なことから、人道支援物資の配布や医療活動などが大幅に制限される恐れがある。先進国7か国の外相は法案を懸念する共同声明を出している。米国はイスラエルにこの間約3兆円の武器支援をしている。日本の年金がイスラエルの国債やイスラエルに加担する企業の投資に数千億円も使われている。イスラエル支援企業の不買運動や署名、寄付、発信、フェアトレードなど、私たちにできることはある。2024年10月イスラエルはハマスの指導者や連帯するヒズボラの指導者を次々殺害し、それを支援するイランの軍事施設を攻撃した。日本は中東に90%石油を依存している。他人(ひと)ごとではない。おいものブログではパレスチナ支援の多様なサイトを紹介する。
参考文献「ガザとは何か」(岡真理)、「ハマスとガザ戦争」(高橋和夫)、週刊金曜日10/4「イスラエル止まらぬ虐殺と破壊」、マクルーバ「知ってつながる資料編」
パレスチナを知る、支援するサイトについては、明日以降紹介します。参考にした本と資料から抜粋した文章でまとめさせてもらいました。足りないことろも多いと思います。何かご意見やご助言がありましたら、ご連絡ください。
おいものせなかだより9・10月 2024年9月12日(木) [おいものせなか通信]
おいもだよりができました。もう12日、またもや遅れました。(^_^;)

ウラコラムは、また図書館のことです(^_^;)。昨年末から動いてきた新花巻図書館の運動が、この秋ヤマ場に入っています。署名活動の中で気づいたのが、図書館に行かない、関心の無い人が多いことでした。私みたいにあ図書館をよく利用するのは一部の人たちなんだと。
そこで関心ががない人にも関心を持ってもらうようなチラシを作り、今月末にはみんなで図書館を語ろうシンポジウムを行います。それに連動して、図書館って凄いよと、おいもだよりのウラコラムで書きました。
明日の岩手日報の折込チラシで入ります。朝日と岩手日日は明後日土曜日です。
チラシUPと一緒に、今回の通信のウラコラムも明日掲載します。

ウラコラムは、また図書館のことです(^_^;)。昨年末から動いてきた新花巻図書館の運動が、この秋ヤマ場に入っています。署名活動の中で気づいたのが、図書館に行かない、関心の無い人が多いことでした。私みたいにあ図書館をよく利用するのは一部の人たちなんだと。
そこで関心ががない人にも関心を持ってもらうようなチラシを作り、今月末にはみんなで図書館を語ろうシンポジウムを行います。それに連動して、図書館って凄いよと、おいもだよりのウラコラムで書きました。
明日の岩手日報の折込チラシで入ります。朝日と岩手日日は明後日土曜日です。
チラシUPと一緒に、今回の通信のウラコラムも明日掲載します。
おいものせなかだより7・8月号 2024年7月11日(木) [おいものせなか通信]
明日のヤサイノイトウさんの野菜は、下記です。
セロリ、半白きゅうり、いんげん、ピーマン(緑やクリームなど数種類)、ナス(フィレンツェ、縞なす、長岡巾着なすなど数種類)ナスは出始めで、数は少ないとのこと。
わらしべ農園さんのバジルがとてもいい香りを放って、あります。
明日のカフェは、完熟梅入荷でバタバタと忙しく、お休みです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいものせなかだより7・8月号ができました!

ウラコラム
パリに行った。
2024.7.11
6月に2週間も休みをもらって、パリに行ってきた。きっかけは、娘が昨秋から語学の勉強でパリに暮していて、今年の2月冬期うつっぽい私が、「どこか行きたいな~」とつぶやいたら、娘が「パリに来たら?」 「え、パリ!そんなの無理だよ」「私のマイル使ってエールフランスで安く行けるよ」「ホント?でも冬は寒そうだから花が綺麗な6月がいいなあ。でも店はどうしよう。野菜は?卵は?休めないよ」「どうにかなるよ!1週間じゃ短いよ」
私は悩んだ末に、まだ元気なうちに行けるチャンスがある時にと決断して、「この日程で行こうかな」と娘に伝えたら、「あ安いのがなくなってる!」えー?ガッカリ!(泣)翌日「あ、ANAがセール始めた!安い、ANAどうした!」 「いくら?」 「直行便で往復13万円台」 「それで安い方なの?」 「何言ってるの。JALとかANAは30万位するよ、安くなっても20万切ることないから、これはとんでもなく安いよ。今決めないと明日にはなくなるよ!早く日程を決めて」と14万円台の日程で手を打った。
野菜が一番の気がかりだった。野菜の収穫が盛んになる時に2週も休むのは、農家にもお客さんにも迷惑がかかる。3月の夫の法事に帰省した息子にそれを言ったら、「店はおれが店番してもいいよ。お母さん行っておいでよ」えームンク!まさかの展開。何かと心配の種だった息子が救世主に。パリでは娘が全部アテンドしてくれる。ラクだ。しかし、たった数日のスペイン旅のために始めたスペイン語の勉強が、できない焦りと不安が増大して超ストレスに。アホだ。直前になって、何とかなるさ!で、パリに飛び立った。
旅行者が行ってみてガッカリの観光地の第1位がパリというのを何かで見た。だって、花のパリだもんね。娘は「期待し過ぎるからダメなんだよ」以前アジアにフェアトレードの仕事に行ったときも同じことを夫に言われた。せっかくお金と時間をかけて行くからと何かを得ようと期待するのは、純粋に旅を楽しめないからダメだと。確かに、思うような収穫が得られないと、帰国して必ず落ち込んでいた。貧乏根性だな。今回私は自分を変えたいのと店を良くする参考になればとちょっとだけの期待でのぞんだ。
一応テーマは食とアートと暮らし。街の風景にまず感動。パリの街並みは古い歴史的建物が延々と続き、どこも絵になる。街路樹が多く、歩道が広い。レンタル自転車がズラーと並んでて、自転車専用道路がある。日本のような近代的なビルは見かけない。ビオ(オーガニック)ショップやビオコープがあちこちにあり、スーパーにもチーズ、牛乳、ワインなどいたる部門で必ずビオがある。野菜や果物は量り売りで、腐りかけでも曲がっててもドンマイ!自分で茶袋に入れる。おじさんや若い男性もマイかごを持ってビオショップのレジで並ぶ。その浸透ぶりにはびっくり。
そして、パリジェンヌもパリマダムもカッコいい人が多い。なぜだと見ていたら、姿勢の良さと歩き方か。しかし、娘いわく、「自分に自信を持っているからだよ」日本人は自分の考えを主張せず、人に迷惑をかけないように、皆と同じでないと叩かれる。以前表参道の信号待ちで知らない外国人に、「日本人女性は皆自信なさそうなのに、なぜあなたは自信ありそうなの」と声をかけられた娘は、パリに来て東京にいた時より解放されたという。
更に、お店に入る時は「ボンジュール」と挨拶し、何も買わずに出る時も、「オルボワール、メルシー(さようなら、ありがとう)」と言って出る。お店の人も笑顔で挨拶。娘のアパートで住人とすれ違う時も必ずボンジュール。夫が昔店番をやっていた時、「お客さんに挨拶しても返してくれないんだよね」とこぼしていた。「今はスーパーで黙ってレジを通るのに慣れてるからね、でも声かけても返ってこないのはさびしいよね」この挨拶や姿勢の良さは真似したいもの。
フランス人は個人主義でプライドが高く冷たいイメージだったが、私が会った人たちは皆笑顔で優しかった。アフリカ系やアジア系の人が多く、移民を受け入れている度量の広さにも驚いた。
実は、こうして旅のことを書くのにも勇気がいった。私は人目を気にしない方だと思っていたが違っていた。長く経済的に厳しかった私なのに、今回の旅行は贅沢かな、行けない人もいるのに…、隠し通して行こうか?ムリだ。2週間の不在にお客さんは、「どこか行くの、またアジア?」と聞かれて、「う、フランス…パリ」とモソモソ答えると、「えー!いいねー!」と皆驚くが好意的。「報告が知りたい」「元気が出る」「いつか私も」という声に背中を押されて、いや開き直って、ブログにも旅行記をさらけ出した。自信がなく、人にどう思われるかを気にする日本人は、私だった。
また、2週間もいれば、「いびきがうるさい」「姿勢が悪い」などと娘にダメ出しされて、横向きに口閉じて寝る。居候はつらいよ(笑)。時々疲れた顔の娘を見て、「ごめんね、悪いね」と言い過ぎて、「そんなこと言わないで。私もママとの旅行を楽しんでるから!」逆に、娘に悲しい想いをさせてしまった。
そういえば、出発前に娘に迷惑をかけるよねとつぶやいたら、息子が「(妹に)いっぱい迷惑をかけていいんだよ」と。息子は小さい頃から人づきあいが苦手で心配だった子だが、毎日店の業務報告をしてくれて、接客も楽しんでいたようだ。娘は高校でよく生活指導の先生に注意されていた。大学時代も仕送りゼロ。好条件で勤めていた会社を辞めて20代のうちにとパリへ。援助なし。物価高のパリでよく生活してるねと心配すれば、「お金はなくなったら稼げばいいし、今しかできない経験や時間の方を大切にしている」
ああ、私も若い頃海外に飛び出たかった…。
エッフェル塔やシャンゼリゼ通りへは行かなかったが、マルシェで果物や野菜、スーパーでチーズやワインを買って、雑貨屋をのぞき、最高で17㎞、毎日街歩きして晩ご飯。夏至の音楽の日は路上演奏で街中盛り上がり、日曜はパレスチナ支援のデモがあり、暮らすような旅ができた。
生活に追われて働き詰めだった私に、パリなんて夢の話だったが、今回偶然のチャンスに乗れた。お金は後から何とかできると娘から教わった。頑張っても報われない、運が悪いのかといつのまにかネガティブ思考になっていた私を、ポジティブで運がいい娘が背中を押した。息子も助けてくれた。自分の思考を変えることで、またチャンスが来るかもなんて思えてきた。その時を逃さずつかめるよう、日々頑張ろう。若い頃の感性は失われ、念願の放浪の旅の旬は過ぎたであろう。でも、諦めたら夢は終わり。高齢でも、その時々に挑戦する気力と体力を持ち続けたいと、思う。

セロリ、半白きゅうり、いんげん、ピーマン(緑やクリームなど数種類)、ナス(フィレンツェ、縞なす、長岡巾着なすなど数種類)ナスは出始めで、数は少ないとのこと。
わらしべ農園さんのバジルがとてもいい香りを放って、あります。
明日のカフェは、完熟梅入荷でバタバタと忙しく、お休みです。
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おいものせなかだより7・8月号ができました!

ウラコラム
パリに行った。
2024.7.11
6月に2週間も休みをもらって、パリに行ってきた。きっかけは、娘が昨秋から語学の勉強でパリに暮していて、今年の2月冬期うつっぽい私が、「どこか行きたいな~」とつぶやいたら、娘が「パリに来たら?」 「え、パリ!そんなの無理だよ」「私のマイル使ってエールフランスで安く行けるよ」「ホント?でも冬は寒そうだから花が綺麗な6月がいいなあ。でも店はどうしよう。野菜は?卵は?休めないよ」「どうにかなるよ!1週間じゃ短いよ」
私は悩んだ末に、まだ元気なうちに行けるチャンスがある時にと決断して、「この日程で行こうかな」と娘に伝えたら、「あ安いのがなくなってる!」えー?ガッカリ!(泣)翌日「あ、ANAがセール始めた!安い、ANAどうした!」 「いくら?」 「直行便で往復13万円台」 「それで安い方なの?」 「何言ってるの。JALとかANAは30万位するよ、安くなっても20万切ることないから、これはとんでもなく安いよ。今決めないと明日にはなくなるよ!早く日程を決めて」と14万円台の日程で手を打った。
野菜が一番の気がかりだった。野菜の収穫が盛んになる時に2週も休むのは、農家にもお客さんにも迷惑がかかる。3月の夫の法事に帰省した息子にそれを言ったら、「店はおれが店番してもいいよ。お母さん行っておいでよ」えームンク!まさかの展開。何かと心配の種だった息子が救世主に。パリでは娘が全部アテンドしてくれる。ラクだ。しかし、たった数日のスペイン旅のために始めたスペイン語の勉強が、できない焦りと不安が増大して超ストレスに。アホだ。直前になって、何とかなるさ!で、パリに飛び立った。
旅行者が行ってみてガッカリの観光地の第1位がパリというのを何かで見た。だって、花のパリだもんね。娘は「期待し過ぎるからダメなんだよ」以前アジアにフェアトレードの仕事に行ったときも同じことを夫に言われた。せっかくお金と時間をかけて行くからと何かを得ようと期待するのは、純粋に旅を楽しめないからダメだと。確かに、思うような収穫が得られないと、帰国して必ず落ち込んでいた。貧乏根性だな。今回私は自分を変えたいのと店を良くする参考になればとちょっとだけの期待でのぞんだ。
一応テーマは食とアートと暮らし。街の風景にまず感動。パリの街並みは古い歴史的建物が延々と続き、どこも絵になる。街路樹が多く、歩道が広い。レンタル自転車がズラーと並んでて、自転車専用道路がある。日本のような近代的なビルは見かけない。ビオ(オーガニック)ショップやビオコープがあちこちにあり、スーパーにもチーズ、牛乳、ワインなどいたる部門で必ずビオがある。野菜や果物は量り売りで、腐りかけでも曲がっててもドンマイ!自分で茶袋に入れる。おじさんや若い男性もマイかごを持ってビオショップのレジで並ぶ。その浸透ぶりにはびっくり。
そして、パリジェンヌもパリマダムもカッコいい人が多い。なぜだと見ていたら、姿勢の良さと歩き方か。しかし、娘いわく、「自分に自信を持っているからだよ」日本人は自分の考えを主張せず、人に迷惑をかけないように、皆と同じでないと叩かれる。以前表参道の信号待ちで知らない外国人に、「日本人女性は皆自信なさそうなのに、なぜあなたは自信ありそうなの」と声をかけられた娘は、パリに来て東京にいた時より解放されたという。
更に、お店に入る時は「ボンジュール」と挨拶し、何も買わずに出る時も、「オルボワール、メルシー(さようなら、ありがとう)」と言って出る。お店の人も笑顔で挨拶。娘のアパートで住人とすれ違う時も必ずボンジュール。夫が昔店番をやっていた時、「お客さんに挨拶しても返してくれないんだよね」とこぼしていた。「今はスーパーで黙ってレジを通るのに慣れてるからね、でも声かけても返ってこないのはさびしいよね」この挨拶や姿勢の良さは真似したいもの。
フランス人は個人主義でプライドが高く冷たいイメージだったが、私が会った人たちは皆笑顔で優しかった。アフリカ系やアジア系の人が多く、移民を受け入れている度量の広さにも驚いた。
実は、こうして旅のことを書くのにも勇気がいった。私は人目を気にしない方だと思っていたが違っていた。長く経済的に厳しかった私なのに、今回の旅行は贅沢かな、行けない人もいるのに…、隠し通して行こうか?ムリだ。2週間の不在にお客さんは、「どこか行くの、またアジア?」と聞かれて、「う、フランス…パリ」とモソモソ答えると、「えー!いいねー!」と皆驚くが好意的。「報告が知りたい」「元気が出る」「いつか私も」という声に背中を押されて、いや開き直って、ブログにも旅行記をさらけ出した。自信がなく、人にどう思われるかを気にする日本人は、私だった。
また、2週間もいれば、「いびきがうるさい」「姿勢が悪い」などと娘にダメ出しされて、横向きに口閉じて寝る。居候はつらいよ(笑)。時々疲れた顔の娘を見て、「ごめんね、悪いね」と言い過ぎて、「そんなこと言わないで。私もママとの旅行を楽しんでるから!」逆に、娘に悲しい想いをさせてしまった。
そういえば、出発前に娘に迷惑をかけるよねとつぶやいたら、息子が「(妹に)いっぱい迷惑をかけていいんだよ」と。息子は小さい頃から人づきあいが苦手で心配だった子だが、毎日店の業務報告をしてくれて、接客も楽しんでいたようだ。娘は高校でよく生活指導の先生に注意されていた。大学時代も仕送りゼロ。好条件で勤めていた会社を辞めて20代のうちにとパリへ。援助なし。物価高のパリでよく生活してるねと心配すれば、「お金はなくなったら稼げばいいし、今しかできない経験や時間の方を大切にしている」
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エッフェル塔やシャンゼリゼ通りへは行かなかったが、マルシェで果物や野菜、スーパーでチーズやワインを買って、雑貨屋をのぞき、最高で17㎞、毎日街歩きして晩ご飯。夏至の音楽の日は路上演奏で街中盛り上がり、日曜はパレスチナ支援のデモがあり、暮らすような旅ができた。
生活に追われて働き詰めだった私に、パリなんて夢の話だったが、今回偶然のチャンスに乗れた。お金は後から何とかできると娘から教わった。頑張っても報われない、運が悪いのかといつのまにかネガティブ思考になっていた私を、ポジティブで運がいい娘が背中を押した。息子も助けてくれた。自分の思考を変えることで、またチャンスが来るかもなんて思えてきた。その時を逃さずつかめるよう、日々頑張ろう。若い頃の感性は失われ、念願の放浪の旅の旬は過ぎたであろう。でも、諦めたら夢は終わり。高齢でも、その時々に挑戦する気力と体力を持ち続けたいと、思う。

おいもだよりと5月のカレンダー 2024年5月9日(木) [おいものせなか通信]
おいものせなかだよりができました。今回ウラコラムはお休みします。
書きたかったのですが準備不足で、これ以上発行を遅らせたくなかったので。

細心の注意を払って書いていても漏れがありました。値上りのところで、杉本園の無農薬茶が5月の新茶から値上がりします。今お店にある在庫は旧価格で販売しています。昨シーズンのですが、最近仕入れたので、古いものではありません。うちの新茶の入荷は今のお茶がなくなる頃からなので、しばらくお待ちください。
ビッグイシューの最新号、坂本龍一の表紙の号は明日UPします。
5月の営業日カレンダーです。かおりさんがカラーで作ってくれたのに、うちで印刷したら何故かモノクロに?(^_^;)。インスタはカラーで今日UPしました。写真も斜め!下手くそ(^-^;。
来週の土曜日は14時閉店、日曜日は休業です。父の一周忌で、週末休みすみません。

書きたかったのですが準備不足で、これ以上発行を遅らせたくなかったので。

細心の注意を払って書いていても漏れがありました。値上りのところで、杉本園の無農薬茶が5月の新茶から値上がりします。今お店にある在庫は旧価格で販売しています。昨シーズンのですが、最近仕入れたので、古いものではありません。うちの新茶の入荷は今のお茶がなくなる頃からなので、しばらくお待ちください。
ビッグイシューの最新号、坂本龍一の表紙の号は明日UPします。
5月の営業日カレンダーです。かおりさんがカラーで作ってくれたのに、うちで印刷したら何故かモノクロに?(^_^;)。インスタはカラーで今日UPしました。写真も斜め!下手くそ(^-^;。
来週の土曜日は14時閉店、日曜日は休業です。父の一周忌で、週末休みすみません。

おいものせなかだより2・3・4月 2024年2月16日(金) [おいものせなか通信]
おいものせなかだよりがやっとできました!(;^ω^)
今から2・3月号だと、またすぐ次号が来るので、4月までの3ヶ月分です。(笑)
だから、春のイベントが満載で、また字だらけ通信です、相変わらず(^-^;。
タイムリーでこまめな情報は、ブログに載せていきます。インスタにも。
営業日や休みが急に変更になる場合もありますので、ブログでお知らせします。

ウラコラム
山からクマの風がビューンと吹いてきたよ
2024.2.16
昨秋は、クマが町に下りてきて、餌を求めて牛舎に入ったり、スーパーに出たりの騒ぎが各地であった。警察や猟友会が連日出動して捕獲し、その後クマは殺されたのか、山に返されたのか、ニュースになる度に気になっていた。
1月末、秋田から来てくれたお客さまが熊のチラシを持ってきた。署名運動もしていますと。熊をイノシシやシカと同様の指定管理鳥獣に追加するよう環境省が検討を進めていて、それが決まると絶滅の危機になるのだと。え?11月においものせなかまつりで岩手県知事が来てくれて、熊が町に出ているのは、奥山のメガソーラー開発等の森林伐採も原因ではないかという質問に知事の明快な答えはなかったけれど、翌月曜日に環境大臣に熊対策を北海道、新潟の知事と要請したとの報道に、知事ちゃんと頑張っているんだ。「いや、それは…指定管理鳥獣に追加するよう要請しているんですよ」と、秋田の井阪さん。
指定管理鳥獣とは、全国で人や農作物などへの被害が深刻で積極的に個数を減らす必要があるとして環境大臣が定めた鳥獣のことで、現在二ホンジカとイノシシが指定され、それぞれの個体数を10年で半減させるという目標の達成のための捕獲事業に国の交付金が交付されている。熊が指定管理鳥獣になると、熊の駆除にお金が出たり、禁止されていた奥山に入ってのくくり罠や箱罠による捕獲ができる事業が計画されてしまう可能性がある。くくり罠は残酷で、動物が足にひっかかると外そうともがく動物は足が切断される。中には足が1本しかないシカもいるという。
秋田県では昨年1年間で、熊の生息数4400頭のうち半数の2200頭が殺処分された。熊は冬ごもりの前に脂肪を蓄えたいのに、増えたイノシシにドングリなどを食われてしまい、餌を求めて里に下りてきて逃げ遅れて捕まる。秋田では捕獲された親子熊を助けようと、日本熊森協会の新潟県支部長が夜中車を走らせて駆けつけ、殺処分なら引き取ると交渉したが、結局親子熊は殺された。秋田県の非捕殺は0。
「秋田県に比べて岩手県は捕殺は少なく、放獣(山に返す)が多い、優しいんですよ。賢治精神でしょうか」と、日本熊森協会は言うが、調べたら昨年12月末時点で捕殺数789頭で非捕殺は26頭。え、これだけ?岩手県庁自然保護課にこのことを尋ねた。
担当者は、「餌を求めて農作物の被害があれば放獣しても必ずまた戻ってきますから、やむをえず殺処分します。山に返すのは、町で迷子になってしまっただけの被害を出す怖れがない熊だけです。今シーズン熊で2名の死者が出ていることを重く見て、人命尊重を考えての対応です。なお、ツキノワグマが絶滅しないように捕殺数の上限は決めています」
今年はブナの実が大凶作、針葉樹が多いのも問題では?という問いには、「広葉樹を植林するようにしています」との回答。(しかし、杉などの針葉樹は成長が早く、すぐにお金になるから、林野庁は広葉樹を植林する気はないとか!?)「指定管理鳥獣になると国から交付金が出ることで、熊を殺してビジネスにする会社があると聞いたが」の質問には、「岩手県では指定管理鳥獣の捕獲ができる認定を受けているのは2団体です。うち一つは猟友会で、もうひとつはハンターの人数が少ないので、ビジネス目的での捕獲はありえません」
県は熊が絶滅しないようにしながらも、農作物被害や人命を最優先に駆除するという方針だ。熊は動物の生態系のピラミッドの頂点に位置し、シカやイノシシと比べ個体数が多くないし?殖力も弱いので、指定管理鳥獣となって今まで以上の殺処分をしていけば、絶滅してしまう。
日本熊森協会ができたきっかけは、31年前に中学生が(痩せた)熊捕殺の新聞記事を学校に持ってきて先生に見せたことである。そこから熊を守る団体を当時先生だった森山まり子さんがつくり、生徒も次々活動を始めたという感動的な物語が、冊子「クマともりとひとと」(100円)に。熊を守ることは森を守り、人の暮らしを守ることにつながると、奥山自然林の保全・再生活動を行う。
自然保護団体は会員数が増えれば、国の政策への声が大きくなるので、会員数を増やしたい、岩手県支部もつくりたいと、2月3日に兵庫県から日帰りで花巻に来て会員や猟友会の話を聞きに来た森山さんと当時生徒だった現会長。2月5日には東京に行き、北海道、東北の支部長など5名で環境省に14749名の署名を持って熊を指定管理にしないよう要望に行った。
しかし2月8日、環境省の検討会議で熊の指定管理鳥獣が決まった。やっぱり…。その夜の県内ニュースのトップは指定管理鳥獣で、盛岡市猟友会の事務局長が、「お金がもらえるから、報奨金が出るから熊を殺すという人がいるといやだ。熊が住めるよう山の木を伐採しないで広葉樹の植林を進める対策をとってほしい」と語った。現場を知る猟友会の言葉に少しだけ安堵した。
あらためて、熊の指定管理鳥獣をどう受け止めているのかを花巻市猟友会会長の藤沼さんに聞いた。「人身被害を与える熊は殺さなければ駄目だが、農作物被害で駆除するのには私は反対。山に放して、二度と下りてこないような対策をすることはできる。奥山の耕作放棄地に広葉樹を植林するとか、電気柵を設けるとか。指定管理鳥獣の交付金は、熊の生育調査や被害防除に使うべき。熊の保護は子どもたちのために、大人の義務としてね」花巻市猟友会は、熊のリーフレットを作り、小学1年生の入学時に熊除け防犯ブザーと共に配布しているのだ。
秋田のクマ旋風からずっと頭はクマ。目の下もクマ
ふと宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を思い出した。約30年前に宮沢賢治一人語りでイーハトーブ賞受賞者の林洋子さんの公演を鉛温泉藤三旅館の広間で行った。「なめとこ山の熊」を作品の舞台の鉛の湯でやりたいと、洋子さんの提案か、こちらからだったか忘れたが、おいもは仲間と共に主催した。この作品は、熊の言葉がわかる猟師小十郎と熊の物語。林洋子さんの薩摩琵琶の重厚な音色と国内外公演1000回以上の熟練の語りによる、猟師と熊の情景が鉛の空に浮かんだ不思議な夜であった。
報道で熊は怖い、害獣というイメージを持たされるが、熊は臆病で怖がりの動物だという。日本熊森協会は保護した熊を3頭飼っていて、「クマはすごく優しくて、人より優れているくらい」と森山さん。これは針葉樹を増やした効率優先の植林政策にも問題があるのではないか。「熊が山に住めなくなったのは人災」と藤沼さんは言う。「奥山はハゲ山になってるよ」と猟師も嘆く。
「人とクマの住み分けができて、豊かな水源を守り多種多様ないのちを育む森づくりをしていく」と、秋田に移住した萱葺き職人の井阪さんは熊森の秋田県支部をつくった。熊は命をかけて、人間優先社会に警鐘を鳴らしてくれているのだ。
うちはずっと鉛温泉の奥の山の湧き水を家とカフェに使っているので、水が枯れると本当にクマっちゃう(*´з`)。
※日本熊森協会は会員の会費と寄付で活動しています。1000円から応援会員になれます。
今から2・3月号だと、またすぐ次号が来るので、4月までの3ヶ月分です。(笑)
だから、春のイベントが満載で、また字だらけ通信です、相変わらず(^-^;。
タイムリーでこまめな情報は、ブログに載せていきます。インスタにも。
営業日や休みが急に変更になる場合もありますので、ブログでお知らせします。

ウラコラム
山からクマの風がビューンと吹いてきたよ
2024.2.16
昨秋は、クマが町に下りてきて、餌を求めて牛舎に入ったり、スーパーに出たりの騒ぎが各地であった。警察や猟友会が連日出動して捕獲し、その後クマは殺されたのか、山に返されたのか、ニュースになる度に気になっていた。
1月末、秋田から来てくれたお客さまが熊のチラシを持ってきた。署名運動もしていますと。熊をイノシシやシカと同様の指定管理鳥獣に追加するよう環境省が検討を進めていて、それが決まると絶滅の危機になるのだと。え?11月においものせなかまつりで岩手県知事が来てくれて、熊が町に出ているのは、奥山のメガソーラー開発等の森林伐採も原因ではないかという質問に知事の明快な答えはなかったけれど、翌月曜日に環境大臣に熊対策を北海道、新潟の知事と要請したとの報道に、知事ちゃんと頑張っているんだ。「いや、それは…指定管理鳥獣に追加するよう要請しているんですよ」と、秋田の井阪さん。
指定管理鳥獣とは、全国で人や農作物などへの被害が深刻で積極的に個数を減らす必要があるとして環境大臣が定めた鳥獣のことで、現在二ホンジカとイノシシが指定され、それぞれの個体数を10年で半減させるという目標の達成のための捕獲事業に国の交付金が交付されている。熊が指定管理鳥獣になると、熊の駆除にお金が出たり、禁止されていた奥山に入ってのくくり罠や箱罠による捕獲ができる事業が計画されてしまう可能性がある。くくり罠は残酷で、動物が足にひっかかると外そうともがく動物は足が切断される。中には足が1本しかないシカもいるという。
秋田県では昨年1年間で、熊の生息数4400頭のうち半数の2200頭が殺処分された。熊は冬ごもりの前に脂肪を蓄えたいのに、増えたイノシシにドングリなどを食われてしまい、餌を求めて里に下りてきて逃げ遅れて捕まる。秋田では捕獲された親子熊を助けようと、日本熊森協会の新潟県支部長が夜中車を走らせて駆けつけ、殺処分なら引き取ると交渉したが、結局親子熊は殺された。秋田県の非捕殺は0。
「秋田県に比べて岩手県は捕殺は少なく、放獣(山に返す)が多い、優しいんですよ。賢治精神でしょうか」と、日本熊森協会は言うが、調べたら昨年12月末時点で捕殺数789頭で非捕殺は26頭。え、これだけ?岩手県庁自然保護課にこのことを尋ねた。
担当者は、「餌を求めて農作物の被害があれば放獣しても必ずまた戻ってきますから、やむをえず殺処分します。山に返すのは、町で迷子になってしまっただけの被害を出す怖れがない熊だけです。今シーズン熊で2名の死者が出ていることを重く見て、人命尊重を考えての対応です。なお、ツキノワグマが絶滅しないように捕殺数の上限は決めています」
今年はブナの実が大凶作、針葉樹が多いのも問題では?という問いには、「広葉樹を植林するようにしています」との回答。(しかし、杉などの針葉樹は成長が早く、すぐにお金になるから、林野庁は広葉樹を植林する気はないとか!?)「指定管理鳥獣になると国から交付金が出ることで、熊を殺してビジネスにする会社があると聞いたが」の質問には、「岩手県では指定管理鳥獣の捕獲ができる認定を受けているのは2団体です。うち一つは猟友会で、もうひとつはハンターの人数が少ないので、ビジネス目的での捕獲はありえません」
県は熊が絶滅しないようにしながらも、農作物被害や人命を最優先に駆除するという方針だ。熊は動物の生態系のピラミッドの頂点に位置し、シカやイノシシと比べ個体数が多くないし?殖力も弱いので、指定管理鳥獣となって今まで以上の殺処分をしていけば、絶滅してしまう。
日本熊森協会ができたきっかけは、31年前に中学生が(痩せた)熊捕殺の新聞記事を学校に持ってきて先生に見せたことである。そこから熊を守る団体を当時先生だった森山まり子さんがつくり、生徒も次々活動を始めたという感動的な物語が、冊子「クマともりとひとと」(100円)に。熊を守ることは森を守り、人の暮らしを守ることにつながると、奥山自然林の保全・再生活動を行う。
自然保護団体は会員数が増えれば、国の政策への声が大きくなるので、会員数を増やしたい、岩手県支部もつくりたいと、2月3日に兵庫県から日帰りで花巻に来て会員や猟友会の話を聞きに来た森山さんと当時生徒だった現会長。2月5日には東京に行き、北海道、東北の支部長など5名で環境省に14749名の署名を持って熊を指定管理にしないよう要望に行った。
しかし2月8日、環境省の検討会議で熊の指定管理鳥獣が決まった。やっぱり…。その夜の県内ニュースのトップは指定管理鳥獣で、盛岡市猟友会の事務局長が、「お金がもらえるから、報奨金が出るから熊を殺すという人がいるといやだ。熊が住めるよう山の木を伐採しないで広葉樹の植林を進める対策をとってほしい」と語った。現場を知る猟友会の言葉に少しだけ安堵した。
あらためて、熊の指定管理鳥獣をどう受け止めているのかを花巻市猟友会会長の藤沼さんに聞いた。「人身被害を与える熊は殺さなければ駄目だが、農作物被害で駆除するのには私は反対。山に放して、二度と下りてこないような対策をすることはできる。奥山の耕作放棄地に広葉樹を植林するとか、電気柵を設けるとか。指定管理鳥獣の交付金は、熊の生育調査や被害防除に使うべき。熊の保護は子どもたちのために、大人の義務としてね」花巻市猟友会は、熊のリーフレットを作り、小学1年生の入学時に熊除け防犯ブザーと共に配布しているのだ。
秋田のクマ旋風からずっと頭はクマ。目の下もクマ
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
報道で熊は怖い、害獣というイメージを持たされるが、熊は臆病で怖がりの動物だという。日本熊森協会は保護した熊を3頭飼っていて、「クマはすごく優しくて、人より優れているくらい」と森山さん。これは針葉樹を増やした効率優先の植林政策にも問題があるのではないか。「熊が山に住めなくなったのは人災」と藤沼さんは言う。「奥山はハゲ山になってるよ」と猟師も嘆く。
「人とクマの住み分けができて、豊かな水源を守り多種多様ないのちを育む森づくりをしていく」と、秋田に移住した萱葺き職人の井阪さんは熊森の秋田県支部をつくった。熊は命をかけて、人間優先社会に警鐘を鳴らしてくれているのだ。
うちはずっと鉛温泉の奥の山の湧き水を家とカフェに使っているので、水が枯れると本当にクマっちゃう(*´з`)。
※日本熊森協会は会員の会費と寄付で活動しています。1000円から応援会員になれます。
おいもののせなかだより12月・1月 2023年12月8日(金) [おいものせなか通信]
おいものせなかだよりがやっと出せました!11月は休んでしまい、1月と合併号です。
年末年始や1月のお休みも書きました。来週水曜日12月13日は休業します。

ウラコラム
図書館は宝の山!?~子どもからお年寄りまで楽しめる図書館を
2023.12.8
11月27日、新花巻図書館の署名運動で市内外から集まった署名4730筆を市長に提出した。私は1万筆を目指していたが、保守的な花巻の風土とマンパワーが足りなくて伸び悩んだ。それでも人口120万の広島市で駅前商業ビルへの図書館移転の反対署名が5473筆というのだから、よくやった。花巻は新図書館の立地で駅前と病院跡地で二分され、計画から10年以上経つ。その経過はおいものホームページで。
私は図書館が好きだ。休日には足を運び、通信のコラムも毎回テーマに沿って何冊も本を借りてよく利用する。築50年の建物は快適ではないから長居はしないけれど。図書館運動の仲間にはあまり利用しない人もいるが、彼らが熱心に署名を集めるのは花巻愛があるから。「20年後、30年後も、よかったと思える図書館を子どもたちに残したい」と、幼児からの絵本の読み聞かせなど本からの情操教育は大事だと考えている。想像力豊かな感性と、自分の意見を述べたり、考えたりする人を学校教育の場以外で育てる場が図書館だ。
また、子どもからお年寄りまで楽しめる図書館は、まちづくりにもつながる。図書館を基点に中心市街地に人が流れるよう整備すれば、市民だけでなく市外から図書館に来る人が増えて、まちの商店街の経済も活性化する。このようにまちづくりの核としての図書館だけでなく、人口獲得のための対策として、移住から定住を促した図書館もある。島根県の離島、海士町(人口2300人)は「島まるごと図書館」で若者定住を増やした。「島にはコンビニもカフェもないが、図書館がある」と、都会から移住した若者は言う。たまに一人になれる空間が、図書館なのだ。
図書館の役割は、「単なる無料貸本屋ではない」と、いま全国で新しい、開かれた図書館がつくられている。これからの図書館は地域の問題解決に役立つ図書館になることを期待されている。文部科学省の方針で、これからは課題解決型の公共図書館を提案しているのだ。
たとえば、自分や家族が病気になったとき、仕事や人生で悩んだり、わからないことがあった時、お金の問題なども、図書館にはたくさんの本や資料がある。検索したり、司書に尋ねてみるのもいいし、東京の神保町では、図書館に探している本がないと町の書店を検索してくれ、観光やどこで食べたらいいかなどの案内も、司書が本のまちのコンシェルジュになる。
Library of the Year(LoY※)2018の優秀賞の勝沼図書館は、ワインとぶどうの資料をコツコツと集め、司書が地元のワイナリーとも密接な関係で、よくワインの試飲会をやり、玄関には「ワイン飲めます」と書いてある。他に、地元の米粉の栽培と普及のために、米粉ベーカリーをレシピ本と共に貸し出した図書館もある。これらは地域の課題解決のためのビジネス支援の一例である。 ※これからの図書館のあり方を示唆するような先進的な活動を行っている機関に対して贈られる賞
佐賀県に、スタバと蔦屋書店がある話題の武雄市図書館や、300人ものボランティアが支える市民協働の伊万里市民図書館、カフェやNPOの複合施設の中に、中高生も楽しめる東京の武蔵野プレイスなど、利用率が爆上がりした素敵な図書館が全国にどんどんできている。
また、著名な建築家が手がけた図書館は、磯崎新「北九州市立図書館」、安藤忠雄「新潟市立豊栄図書館」、隈研吾「富山市立図書館」などがあり、新進建築家による作品の図書館も全国にたくさんある。そういう図書館は外からの来訪者も増えて、まちの経済効果が大きい。
スタジオ併設で、講座や講演会、ミニコンサートの企画を行っている図書館も多い。毎年直木賞受賞作家や、人気の絵本作家をよぶ図書館もある。図書館は出会いと発見の場で、これまでまったく図書館に関心のなかった人や子どもたちを呼び込み、つなぐ役割を果たす。図書館を使って何かを学び、そこから得たものによって、幸福度が増していく。図書館は問題解決のヒントを与えてくれる知恵の宝庫、宝の山。
岩手県で優れた図書館と紹介されるのが紫波町図書館。2016年にLoYの優秀賞を受賞している。官民連携の複合施設オガールの中にあり、町民との200回を超える対話の末にできた図書館は、地域の農業支援と野村胡堂ゆかりの地として胡堂文庫の歴史を受け継いでいる。
さて、新花巻図書館は?私たちが希望する旧花巻病院跡地は宮沢賢治ゆかりの地で、広大な敷地は立体駐車場の必要がないし、遠くに霊峰早池峰の山々が、眼下に町並みが見える。そこにテラス席をつくったら、争奪戦必至。カフェもあるが、お腹がすいたらヨーカドーも上町商店街も坂を下りればすぐ。花巻城址につづく周辺を花と緑にしてベンチを置き、そこでマルシェを開けば、産業支援と人々の交流の場になる。映画の上映会や講演会ができるマルチスペースもほしい。隣接のまなび学園はシニアの生涯学習施設でこどもセンターがあり、高校生の学習場所にも活用されているので連携も◎。
図書館利用率が高い高齢者が老後も楽しく暮らしていたら、若者は戻ってくる。年々人口減少の自治体では、維持経費を考えると市民協働で「おらほの図書館を支えよう」という、市民が望み愛される図書館がつくられるべきだ。
「駅前の希望もあるから、駅前と跡地双方の事業費を調査して市民に提示する」と市の答弁。高いか安いかで決める?調査費用は1800万円!12月議会で予算案を通して調査に9ヶ月もかかり、その後市民説明会を開き、来年度中に場所を決定するというが、また1年先延ばしと莫大な経費と時間にのけぞった。跡地は花巻病院との協定で市有地になるし、議会も図書館は市有地にと提案した。なのに、新たにJR用地を購入してまで市が駅前に固執するのはなぜ?跡地と事業費比較する調査は無意味、税金の無駄遣いでは?JRとの交渉記録の黒塗り文書はなに?そんな疑問をぶつけても回答が理解できない。1軒1軒歩いて署名を集めた市民の想いを、どこまで受け止めているのか。
元朝日新聞記者の増子義久さんは、全国の友人100人に署名用紙を送った。署名を返してくれた中には、宗教学者で花巻の初代名誉市民の山折哲雄さんや、イーハトーブ賞受賞者の赤坂憲雄さん、哲学者の花崎皋平(こうへい)さんらの著名人も続々いて、応援エールに励まされる。
花巻市は今まちづくりのパブコメ(※)を募集中だ。こんなまちにしたいという意見を送ろう。行政を信じて、自分のまちを一緒に良くしていこう!
※11/20から12/19まで、来年度から8年間の長期まちづくり総合計画についてのパブリックコメント募集。詳しくは花巻市の広報や市のホームページで。
年末年始や1月のお休みも書きました。来週水曜日12月13日は休業します。

ウラコラム
図書館は宝の山!?~子どもからお年寄りまで楽しめる図書館を
2023.12.8
11月27日、新花巻図書館の署名運動で市内外から集まった署名4730筆を市長に提出した。私は1万筆を目指していたが、保守的な花巻の風土とマンパワーが足りなくて伸び悩んだ。それでも人口120万の広島市で駅前商業ビルへの図書館移転の反対署名が5473筆というのだから、よくやった。花巻は新図書館の立地で駅前と病院跡地で二分され、計画から10年以上経つ。その経過はおいものホームページで。
私は図書館が好きだ。休日には足を運び、通信のコラムも毎回テーマに沿って何冊も本を借りてよく利用する。築50年の建物は快適ではないから長居はしないけれど。図書館運動の仲間にはあまり利用しない人もいるが、彼らが熱心に署名を集めるのは花巻愛があるから。「20年後、30年後も、よかったと思える図書館を子どもたちに残したい」と、幼児からの絵本の読み聞かせなど本からの情操教育は大事だと考えている。想像力豊かな感性と、自分の意見を述べたり、考えたりする人を学校教育の場以外で育てる場が図書館だ。
また、子どもからお年寄りまで楽しめる図書館は、まちづくりにもつながる。図書館を基点に中心市街地に人が流れるよう整備すれば、市民だけでなく市外から図書館に来る人が増えて、まちの商店街の経済も活性化する。このようにまちづくりの核としての図書館だけでなく、人口獲得のための対策として、移住から定住を促した図書館もある。島根県の離島、海士町(人口2300人)は「島まるごと図書館」で若者定住を増やした。「島にはコンビニもカフェもないが、図書館がある」と、都会から移住した若者は言う。たまに一人になれる空間が、図書館なのだ。
図書館の役割は、「単なる無料貸本屋ではない」と、いま全国で新しい、開かれた図書館がつくられている。これからの図書館は地域の問題解決に役立つ図書館になることを期待されている。文部科学省の方針で、これからは課題解決型の公共図書館を提案しているのだ。
たとえば、自分や家族が病気になったとき、仕事や人生で悩んだり、わからないことがあった時、お金の問題なども、図書館にはたくさんの本や資料がある。検索したり、司書に尋ねてみるのもいいし、東京の神保町では、図書館に探している本がないと町の書店を検索してくれ、観光やどこで食べたらいいかなどの案内も、司書が本のまちのコンシェルジュになる。
Library of the Year(LoY※)2018の優秀賞の勝沼図書館は、ワインとぶどうの資料をコツコツと集め、司書が地元のワイナリーとも密接な関係で、よくワインの試飲会をやり、玄関には「ワイン飲めます」と書いてある。他に、地元の米粉の栽培と普及のために、米粉ベーカリーをレシピ本と共に貸し出した図書館もある。これらは地域の課題解決のためのビジネス支援の一例である。 ※これからの図書館のあり方を示唆するような先進的な活動を行っている機関に対して贈られる賞
佐賀県に、スタバと蔦屋書店がある話題の武雄市図書館や、300人ものボランティアが支える市民協働の伊万里市民図書館、カフェやNPOの複合施設の中に、中高生も楽しめる東京の武蔵野プレイスなど、利用率が爆上がりした素敵な図書館が全国にどんどんできている。
また、著名な建築家が手がけた図書館は、磯崎新「北九州市立図書館」、安藤忠雄「新潟市立豊栄図書館」、隈研吾「富山市立図書館」などがあり、新進建築家による作品の図書館も全国にたくさんある。そういう図書館は外からの来訪者も増えて、まちの経済効果が大きい。
スタジオ併設で、講座や講演会、ミニコンサートの企画を行っている図書館も多い。毎年直木賞受賞作家や、人気の絵本作家をよぶ図書館もある。図書館は出会いと発見の場で、これまでまったく図書館に関心のなかった人や子どもたちを呼び込み、つなぐ役割を果たす。図書館を使って何かを学び、そこから得たものによって、幸福度が増していく。図書館は問題解決のヒントを与えてくれる知恵の宝庫、宝の山。
岩手県で優れた図書館と紹介されるのが紫波町図書館。2016年にLoYの優秀賞を受賞している。官民連携の複合施設オガールの中にあり、町民との200回を超える対話の末にできた図書館は、地域の農業支援と野村胡堂ゆかりの地として胡堂文庫の歴史を受け継いでいる。
さて、新花巻図書館は?私たちが希望する旧花巻病院跡地は宮沢賢治ゆかりの地で、広大な敷地は立体駐車場の必要がないし、遠くに霊峰早池峰の山々が、眼下に町並みが見える。そこにテラス席をつくったら、争奪戦必至。カフェもあるが、お腹がすいたらヨーカドーも上町商店街も坂を下りればすぐ。花巻城址につづく周辺を花と緑にしてベンチを置き、そこでマルシェを開けば、産業支援と人々の交流の場になる。映画の上映会や講演会ができるマルチスペースもほしい。隣接のまなび学園はシニアの生涯学習施設でこどもセンターがあり、高校生の学習場所にも活用されているので連携も◎。
図書館利用率が高い高齢者が老後も楽しく暮らしていたら、若者は戻ってくる。年々人口減少の自治体では、維持経費を考えると市民協働で「おらほの図書館を支えよう」という、市民が望み愛される図書館がつくられるべきだ。
「駅前の希望もあるから、駅前と跡地双方の事業費を調査して市民に提示する」と市の答弁。高いか安いかで決める?調査費用は1800万円!12月議会で予算案を通して調査に9ヶ月もかかり、その後市民説明会を開き、来年度中に場所を決定するというが、また1年先延ばしと莫大な経費と時間にのけぞった。跡地は花巻病院との協定で市有地になるし、議会も図書館は市有地にと提案した。なのに、新たにJR用地を購入してまで市が駅前に固執するのはなぜ?跡地と事業費比較する調査は無意味、税金の無駄遣いでは?JRとの交渉記録の黒塗り文書はなに?そんな疑問をぶつけても回答が理解できない。1軒1軒歩いて署名を集めた市民の想いを、どこまで受け止めているのか。
元朝日新聞記者の増子義久さんは、全国の友人100人に署名用紙を送った。署名を返してくれた中には、宗教学者で花巻の初代名誉市民の山折哲雄さんや、イーハトーブ賞受賞者の赤坂憲雄さん、哲学者の花崎皋平(こうへい)さんらの著名人も続々いて、応援エールに励まされる。
花巻市は今まちづくりのパブコメ(※)を募集中だ。こんなまちにしたいという意見を送ろう。行政を信じて、自分のまちを一緒に良くしていこう!
※11/20から12/19まで、来年度から8年間の長期まちづくり総合計画についてのパブリックコメント募集。詳しくは花巻市の広報や市のホームページで。
おいものせなか通信 9・10月 2023年9月13日(水) [おいものせなか通信]
お待たせしましたー(*^^*)、おいもだより今月号がやっとできました!
秋冬展示会のお知らせとおいものせなかまつりの予告。先月笑わせた(^-^;ウラコラムは選挙運動で、ちょっとマジメな話題ですが、読んでください~。

ウラコラム 2023.9.13
岩手県知事選挙と公開質問状のアツい夏
この夏は、図らずも岩手県知事選の選挙運動に頑張ってしまった。
現職達増拓也知事の5選目の出馬に、「飽きた」「達増さんは何をやった?」という声がチラホラ。対立する新人候補は県議2期目の千葉絢子さん。元アナウンサーの若い女性は新鮮に映るが、自民党と公明党が支援、疑問だ。自民党政権の最近の横暴ぶりは、放射能汚染水の海洋放出、マイナカードで紙の保険証を廃止、インボイス制度で零細事業者に消費税増税と、大企業優遇弱者切り捨て。そんな政治を岩手に持ち込んだら、確実に病院が減る、線路が廃線と不安だらけ。選挙は私たちの声を伝えるという民主主義の大事な行動だが、投票率が下がると自民党が勝つ。「関心なく、寝ていてくれればいい」と言った首相がいた。国民をバカにしている。
昨年の花巻市長選で、市民の関心と投票率が低いことを痛感し、「暮らしと政治の勉強会」を始めた。暮らしと政治は密接につながっている。私たちの税金が有効に使われているかを視ることが大事。政策を見ずに、女性や刷新というイメージで投票する風潮は危険だ。両者の政策や考えを知って判断して投票してほしいが、新聞や選挙公報ではわかりづらい。私は公開質問状がいいと思った。でも、お盆明けに告示で、今からでは遅い?とか、色々考えると、正直勇気がいるなと、足踏みしていた。そこに、花巻市議の羽山さんが達増知事夫人陽子さんを連れて来た。私の矢継ぎ早の質問に明快に答える夫人。質問状はまだ大丈夫ですよと言われ、陽子さんを囲む県政の勉強会も快諾してもらい、背中を押された。急ぎ、身近な質問を17項目にまとめ、友人らに見せて意見や助言をもらった。
8月5日、質問状を両候補に送る。その間、私は達増さんを知るために、師と仰ぐ小沢一郎さんの本を図書館から何冊も借りて読んだ。小沢一郎は世間での評判はあまり良くない。しかし、知識・見識の広さ、交渉力、国民の生活が一番が信条、情が厚い、人の悪口は言わない。アメリカも中国もトップ方は日本の政治家で小沢評価は高い。岩手からこんな凄い政治家が出ていたとは!なのに、ここまで叩かれて悪者にされてきたのは、なぜ?彼の著書で、「みんなが幸せな生活、豊かで平穏な生活が送れるようにするために、何をすべきか。それを考えるのが政治。政治家の役割であって、それ以上でもそれ以下でもない」。これが真の政治家の姿だ。地元は「小沢は被災地に来なかった」「母ちゃんに逃げられた」と悪く言うが、世間の情報を鵜呑みにしないで、自分で調べるといい。私が後援会から聞いた真実をブログ8/31に書いた。
8月16日、質問状の回答をまとめて、おいものホームページにUPした。予想以上に回答の差が出た。達増さんの回答が秀逸。おいものアクセスは少ないので、岩手日報、岩手日日、河北新報に記事を載せてもらった。若い人に投票してほしいからSNSでの拡散作戦をと、うちの子どもたちに質問状を送ったが気配なし。2回目、相手候補の動画送るが無視。3回目、「岩手壊れるよ、岩手終わるよ」無視。4回目、「新田家の若い皆さんの拡散応援をお願いします」無視。オイ、この親不孝もんが
政治を語るのはカッコ悪いと思ってるのか?
そうしたら、画家の飯坂真紀さんが「投票に行こう」の豹のポストカードを送ってきて、手紙に「質問状すごいね、twitterに上げたら200人くらい反応があって、どんどん拡散されてるよ」と。翌日Y さんが、「すごいよ!twitterで慶応義塾大学名誉教授の堀茂樹さんて方が質問状を褒めて拡散してるよ」えー!堀茂樹さんは、「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」という本の著者。とてもいい本。Sさんは、「twitterでおいもが全国的に有名になってるよ!」質問状がいつのまにか拡散されて、全国で岩手県知事選の与野党対決は盛り上がっていた。おいもの商売には何の影響もないし(笑)、ネットを見ない県内の有権者にはわからない。質問状は8頁あり、読むのが苦手な人、関心がない人に伝えるために、第2弾で候補者早わかり版を作った。知れば知るほど、達増県政は震災やコロナの対応と医療や教育支援でよくやってきたと感動した。
花巻の総決起集会では達増側にくらべて、千葉側は大人数で千葉優勢と誰もが思った。そこにエッフェルの風が岩手に吹いた。ビュ~。放射能汚染水の海洋放出で、岸田政権に批判が出た。でも、達増陣営には油断できない選挙戦、大物が次々応援に来る。沖縄から玉城デニー知事が駆けつけた。何と全国で非自民の知事は岩手と沖縄だけだった。生デニーを見に行き、沖縄は子どもの貧困対策に60億円の予算に感動し、演説前に達増さんは一人一人握手して回り、私に気づいた陽子夫人が、「拓ちゃん、拓ちゃん、ほら、おいものしっぽさん!」
全国トップクラスの子育て支援をつくった元明石市長の泉房穂さんは、「達増さんはすごいことやってはる。謙虚で自己アピールしないから、わしが代わりに喋ったろか!全国でもピカイチの知事やで!」と関西弁で説得力・迫力満点。れいわ新撰組の山本太郎さんは、「達増さんが知事で岩手はラッキーですよ!岩手から国を変える力がある!」蓮舫さんの「汚染水ダメでしょ!震災後、漁業者も行政もみんながどれだけ努力してきたか!」の演説に、「蓮舫はアツが強くて苦手」と言ってたYさん、涙が出た…と撤回。私も皆さんの熱い演説に、薄い胸も胸アツ。
結果は10万票差で勝った。達増さんはすごい経歴と実績なのに、口下手で自慢下手。でも、純粋に県民のために働いてきたのが伝わった。私は、お店はもちろん郵便局や花屋に温泉と、行く先々で遠慮がちにチラシを渡し、市町村長に手紙まで書いてしまった。ドンクサい。トップが変わるだけで、私たちの暮らしは良くも悪くもなる。忖度(そんたく)?素晴らしい資源がある地方が、国に頭を下げてお金をもらわないとやっていけないのか?安全と言うなら原発も放射能汚染水も基地も東京湾につくればいい!
達増さんの、「岩手をエンパワー(力をつける)して、希望と幸福にあふれるふるさとを創造しよう!」は、シンプルだけど奥深い言葉。知事を先頭に「オールいわて」で力を合わせて、みんなもわたしも笑顔で暮らしていける岩手に、力をつけていこう、頑張りましょう!
秋冬展示会のお知らせとおいものせなかまつりの予告。先月笑わせた(^-^;ウラコラムは選挙運動で、ちょっとマジメな話題ですが、読んでください~。

ウラコラム 2023.9.13
岩手県知事選挙と公開質問状のアツい夏
この夏は、図らずも岩手県知事選の選挙運動に頑張ってしまった。
現職達増拓也知事の5選目の出馬に、「飽きた」「達増さんは何をやった?」という声がチラホラ。対立する新人候補は県議2期目の千葉絢子さん。元アナウンサーの若い女性は新鮮に映るが、自民党と公明党が支援、疑問だ。自民党政権の最近の横暴ぶりは、放射能汚染水の海洋放出、マイナカードで紙の保険証を廃止、インボイス制度で零細事業者に消費税増税と、大企業優遇弱者切り捨て。そんな政治を岩手に持ち込んだら、確実に病院が減る、線路が廃線と不安だらけ。選挙は私たちの声を伝えるという民主主義の大事な行動だが、投票率が下がると自民党が勝つ。「関心なく、寝ていてくれればいい」と言った首相がいた。国民をバカにしている。
昨年の花巻市長選で、市民の関心と投票率が低いことを痛感し、「暮らしと政治の勉強会」を始めた。暮らしと政治は密接につながっている。私たちの税金が有効に使われているかを視ることが大事。政策を見ずに、女性や刷新というイメージで投票する風潮は危険だ。両者の政策や考えを知って判断して投票してほしいが、新聞や選挙公報ではわかりづらい。私は公開質問状がいいと思った。でも、お盆明けに告示で、今からでは遅い?とか、色々考えると、正直勇気がいるなと、足踏みしていた。そこに、花巻市議の羽山さんが達増知事夫人陽子さんを連れて来た。私の矢継ぎ早の質問に明快に答える夫人。質問状はまだ大丈夫ですよと言われ、陽子さんを囲む県政の勉強会も快諾してもらい、背中を押された。急ぎ、身近な質問を17項目にまとめ、友人らに見せて意見や助言をもらった。
8月5日、質問状を両候補に送る。その間、私は達増さんを知るために、師と仰ぐ小沢一郎さんの本を図書館から何冊も借りて読んだ。小沢一郎は世間での評判はあまり良くない。しかし、知識・見識の広さ、交渉力、国民の生活が一番が信条、情が厚い、人の悪口は言わない。アメリカも中国もトップ方は日本の政治家で小沢評価は高い。岩手からこんな凄い政治家が出ていたとは!なのに、ここまで叩かれて悪者にされてきたのは、なぜ?彼の著書で、「みんなが幸せな生活、豊かで平穏な生活が送れるようにするために、何をすべきか。それを考えるのが政治。政治家の役割であって、それ以上でもそれ以下でもない」。これが真の政治家の姿だ。地元は「小沢は被災地に来なかった」「母ちゃんに逃げられた」と悪く言うが、世間の情報を鵜呑みにしないで、自分で調べるといい。私が後援会から聞いた真実をブログ8/31に書いた。
8月16日、質問状の回答をまとめて、おいものホームページにUPした。予想以上に回答の差が出た。達増さんの回答が秀逸。おいものアクセスは少ないので、岩手日報、岩手日日、河北新報に記事を載せてもらった。若い人に投票してほしいからSNSでの拡散作戦をと、うちの子どもたちに質問状を送ったが気配なし。2回目、相手候補の動画送るが無視。3回目、「岩手壊れるよ、岩手終わるよ」無視。4回目、「新田家の若い皆さんの拡散応援をお願いします」無視。オイ、この親不孝もんが
![[むかっ(怒り)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/152.gif)
そうしたら、画家の飯坂真紀さんが「投票に行こう」の豹のポストカードを送ってきて、手紙に「質問状すごいね、twitterに上げたら200人くらい反応があって、どんどん拡散されてるよ」と。翌日Y さんが、「すごいよ!twitterで慶応義塾大学名誉教授の堀茂樹さんて方が質問状を褒めて拡散してるよ」えー!堀茂樹さんは、「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」という本の著者。とてもいい本。Sさんは、「twitterでおいもが全国的に有名になってるよ!」質問状がいつのまにか拡散されて、全国で岩手県知事選の与野党対決は盛り上がっていた。おいもの商売には何の影響もないし(笑)、ネットを見ない県内の有権者にはわからない。質問状は8頁あり、読むのが苦手な人、関心がない人に伝えるために、第2弾で候補者早わかり版を作った。知れば知るほど、達増県政は震災やコロナの対応と医療や教育支援でよくやってきたと感動した。
花巻の総決起集会では達増側にくらべて、千葉側は大人数で千葉優勢と誰もが思った。そこにエッフェルの風が岩手に吹いた。ビュ~。放射能汚染水の海洋放出で、岸田政権に批判が出た。でも、達増陣営には油断できない選挙戦、大物が次々応援に来る。沖縄から玉城デニー知事が駆けつけた。何と全国で非自民の知事は岩手と沖縄だけだった。生デニーを見に行き、沖縄は子どもの貧困対策に60億円の予算に感動し、演説前に達増さんは一人一人握手して回り、私に気づいた陽子夫人が、「拓ちゃん、拓ちゃん、ほら、おいものしっぽさん!」
全国トップクラスの子育て支援をつくった元明石市長の泉房穂さんは、「達増さんはすごいことやってはる。謙虚で自己アピールしないから、わしが代わりに喋ったろか!全国でもピカイチの知事やで!」と関西弁で説得力・迫力満点。れいわ新撰組の山本太郎さんは、「達増さんが知事で岩手はラッキーですよ!岩手から国を変える力がある!」蓮舫さんの「汚染水ダメでしょ!震災後、漁業者も行政もみんながどれだけ努力してきたか!」の演説に、「蓮舫はアツが強くて苦手」と言ってたYさん、涙が出た…と撤回。私も皆さんの熱い演説に、薄い胸も胸アツ。
結果は10万票差で勝った。達増さんはすごい経歴と実績なのに、口下手で自慢下手。でも、純粋に県民のために働いてきたのが伝わった。私は、お店はもちろん郵便局や花屋に温泉と、行く先々で遠慮がちにチラシを渡し、市町村長に手紙まで書いてしまった。ドンクサい。トップが変わるだけで、私たちの暮らしは良くも悪くもなる。忖度(そんたく)?素晴らしい資源がある地方が、国に頭を下げてお金をもらわないとやっていけないのか?安全と言うなら原発も放射能汚染水も基地も東京湾につくればいい!
達増さんの、「岩手をエンパワー(力をつける)して、希望と幸福にあふれるふるさとを創造しよう!」は、シンプルだけど奥深い言葉。知事を先頭に「オールいわて」で力を合わせて、みんなもわたしも笑顔で暮らしていける岩手に、力をつけていこう、頑張りましょう!
おいものせなかだより7・8月 2023年7月27日(木) [おいものせなか通信]
おいものせなかだよりがやっとできました!3・4月号以来です。
どんどん字だらけで読みにくいですね(>_<)。ウラコラムも頑張りました(笑)。

ウラコラム
小田とおならとペペロンチーノ、and ~忠雄
7月9日、小田和正のコンサートに行った。オフコースの武道館連続10日間コンサートに3日間も行ったのが1982年だから、実に41年ぶりと言いたいところだが、5年前夫がいなくなった数か月後に娘がチケットを取ってくれて、結婚後初めて、38年ぶりに小田の盛岡公演に行けた。
半年前、東京のナオコさんから、「小田さんの追加公演が盛岡であるので、一緒に行きませんか?」という連絡に、行く行く!チケットはすぐ取れたのかと思いきや、数か月後、「取れました!ファンクラブ会員も殆ど取れなくて、私も全会場申し込んだのに、盛岡だけが取れました」え、ファンクラブでも?これは、岩手はファンが少ないからかなと思っていたら、盛岡は会場が小さいから競争率が激しかったと後で聞いた。
いよいよ当日、ナオコは小田のTシャツを着て新幹線に乗っていたら、何人ものファンに声をかけられたという。盛岡駅から会場へのシャトルバスで会った愛知県の女性はチケット取れなくて、当日券目当てに来て、ダメだったら東北を観光しようと早めに会場へ。幸い初日当日券で入れたので、2日目も当日券で入るという。駐車場には、秋田、福島などの県外ナンバー。盛岡駅からのシャトルバスは10台近く。県外から新幹線で来た人か。
ライブは電光掲示板にデカ文字で歌詞が流れる。皆手を叩いて、おじおば合唱。和正、「昨日今日と盛岡ですが~、1週間位やりたいくらいですっ」に、会場がウワーと拍手。ナオコ曰く、「リップサービスはしない人で、珍しくピョンピョン跳ねてたのは上機嫌だからだよ。小さな会場のほうが観客と一体感があって好きみたい」後でナオコの小田トモ情報では、「盛岡公演よかったらしいね」と評判。さすがの情報網。「ところでナオコさんはいつからファンなの」と聞くと、「12歳から。当時鹿児島に青い三角定規のコンサートに友だちに誘われて、デビュー直後のオフコースが前座で歌ってたのを聞いて」…うっ、負けた(-_-;)。
開演前にナオコ、「小田さん前より声が出てるからね」え、75歳だよ!2時間半全力で歌い、歩き、美しい高音も健在。「長く歌ってくれて有り難い。子育て中はお金も時間もなかった。今やっとライブに行けて本当に幸せ!」と言ったナオコシャトルバストモの言葉に超同感。歌い続けてくれて、うれしくて~うれひくって、言葉にできないっ♪
ナオコさんを紹介してくれた古い友人キョウコも、小田抜きで遠く広島から合流。翌日は沿岸に行きたいというので喜んで案内。和正聴きながら♪だが、CDがダメな車にラジカセを積んで、あれ動かない?なぜかエアコンも効かないのよね、うちの車。途中東和町の車やに寄ってみてもらう。あら両方スイッチが入ってなかっただけ(^_^;)。和正鳴らし陸前高田の震災伝承館を見学して、今まで報道で知るだけだった震災や津波のことを実際に知れてよかったと。
次にどこに連れていこうかと考えたのが、「子どもほんの森遠野」。私たち、絵本や絵が好きというかわいい熟女(笑)。1・2月のこのコラムでも紹介した世界的建築家安藤忠雄が、この国に絶望しながらも希望を子どもたちに託した。たくさんの本を読んで、過去を学び、今を考え、未来を想像してほしいと、自費で設計・建築し、大阪に次いで2番目に遠野市に寄贈した図書館だ。
古い商家を改装した施設は天井まで絵本がディスプレイされ、現代美術のように美しく、居心地抜群。子どもの絵本や図書だけかなと思っていたら、自然から美術など13のテーマ別に見やすく、大人も楽しめる本が選書され、意外な本に出会い、ずっといたくなる。
3人で床で本を見ていた時に、キョウコがブッと屁をした。あっとうろたえ恥ずかしがる彼女に、「私もお店で出る時あるよ、お客さんも私も知らんぷりするけどね~」と、しょうもないフォロー。それからそれぞれ本棚を散策して、また自然と集まった時に、私がコンビニ若者しゃがみのせいかブッと屁が出た。キョウコは顔をくしゃくしゃに嬉しそうに、即座にナオコに手を振り、「今度はあんただよ」と。他の来館者もいる図書館で、屁こき熟女が声を押し殺して笑いころげるの図。
そこで思い出したのが、うちに小さな子ども連れのお客さんが、「またトイレ貸して下さい。すみません、ここに来るとなぜか子どもがうんちをしたくなって。よほどいい気が流れているんですね」と。…えっ、おいもって、うんちしたくなる空気感なのか?
ほんの森は靴のままの書架と靴を脱ぐ板の間があり、回遊しやすいよう途中に竹の下駄も用意されている。ここからは土足ね、3足並んだ竹の下駄の一番端に大きめの楽そうなサンダルがあって、これにしよう~と履いて本棚を眺めていた。しばらくして、「すみません…」と声かけられ、「そのサンダル僕のなんです」。青年がすまなそうにしている。えー知らずに履いてしまってごめんなさい!と言ったら、「紛らわしいのを履いてきてすみません」と平謝りで帰っていった。こっちが悪いのに、なんと謙虚な田舎の若者。そばでナオコに目撃され、ニタニタと笑ってた。
ここは文化施設とかで、本の貸出しはしないが、また来てのんびり本を散策したい。そして、スタッフの対応がていねいで素敵。心から楽しんで、喜んで、感動したナオコとキョウコ。ここに来るのが最初で最後かもしれない観光客を、これほどまで喜ばせる図書館って、なに?
私はいま新花巻図書館の移転問題に取り組んでいる。市は駅前立地を進めるが、図書館を普段利用しない人や観光客も満足する図書館は、便利さや蔵書だけではない。ついリラックスして屁も出てしまい、ウンチもしたくなるような居心地のいい空間だ!と実感した。屁(へ)屁(へ)(^^ゞ。
沿岸から遠野、温泉と濃密ないち日の夜は、簡単な手料理。最近得意のペペロンチーノを張り切って作ってる最中、前日に研いだ包丁がまな板から跳んだと思ったら、足の甲に直撃か、血がダラダラ。ギャー、二人は止血!と慌てるが、私は傷よりも、「あー、麺が茹で上がる、ぺ、ペペロンチーノがー」と、足は動かせず手はコンロ、いやコント。おば旅ならぬおだ旅で若返った。明日からまた笑顔で頑張ろうね、ファイト~。
「読書を通して得られる知識や体験は、スマートフォンで得る情報とは比べものにならないくらいの価値があります。(中略)自分の心に残る大切な一冊を探してみてください」
安藤忠雄の遠野開館に寄せたメッセージ。やっぱり忠雄はイイこと言うなあー。ファンになっちゃうわ(^.^)。
どんどん字だらけで読みにくいですね(>_<)。ウラコラムも頑張りました(笑)。
ウラコラム
小田とおならとペペロンチーノ、and ~忠雄
7月9日、小田和正のコンサートに行った。オフコースの武道館連続10日間コンサートに3日間も行ったのが1982年だから、実に41年ぶりと言いたいところだが、5年前夫がいなくなった数か月後に娘がチケットを取ってくれて、結婚後初めて、38年ぶりに小田の盛岡公演に行けた。
半年前、東京のナオコさんから、「小田さんの追加公演が盛岡であるので、一緒に行きませんか?」という連絡に、行く行く!チケットはすぐ取れたのかと思いきや、数か月後、「取れました!ファンクラブ会員も殆ど取れなくて、私も全会場申し込んだのに、盛岡だけが取れました」え、ファンクラブでも?これは、岩手はファンが少ないからかなと思っていたら、盛岡は会場が小さいから競争率が激しかったと後で聞いた。
いよいよ当日、ナオコは小田のTシャツを着て新幹線に乗っていたら、何人ものファンに声をかけられたという。盛岡駅から会場へのシャトルバスで会った愛知県の女性はチケット取れなくて、当日券目当てに来て、ダメだったら東北を観光しようと早めに会場へ。幸い初日当日券で入れたので、2日目も当日券で入るという。駐車場には、秋田、福島などの県外ナンバー。盛岡駅からのシャトルバスは10台近く。県外から新幹線で来た人か。
ライブは電光掲示板にデカ文字で歌詞が流れる。皆手を叩いて、おじおば合唱。和正、「昨日今日と盛岡ですが~、1週間位やりたいくらいですっ」に、会場がウワーと拍手。ナオコ曰く、「リップサービスはしない人で、珍しくピョンピョン跳ねてたのは上機嫌だからだよ。小さな会場のほうが観客と一体感があって好きみたい」後でナオコの小田トモ情報では、「盛岡公演よかったらしいね」と評判。さすがの情報網。「ところでナオコさんはいつからファンなの」と聞くと、「12歳から。当時鹿児島に青い三角定規のコンサートに友だちに誘われて、デビュー直後のオフコースが前座で歌ってたのを聞いて」…うっ、負けた(-_-;)。
開演前にナオコ、「小田さん前より声が出てるからね」え、75歳だよ!2時間半全力で歌い、歩き、美しい高音も健在。「長く歌ってくれて有り難い。子育て中はお金も時間もなかった。今やっとライブに行けて本当に幸せ!」と言ったナオコシャトルバストモの言葉に超同感。歌い続けてくれて、うれしくて~うれひくって、言葉にできないっ♪
ナオコさんを紹介してくれた古い友人キョウコも、小田抜きで遠く広島から合流。翌日は沿岸に行きたいというので喜んで案内。和正聴きながら♪だが、CDがダメな車にラジカセを積んで、あれ動かない?なぜかエアコンも効かないのよね、うちの車。途中東和町の車やに寄ってみてもらう。あら両方スイッチが入ってなかっただけ(^_^;)。和正鳴らし陸前高田の震災伝承館を見学して、今まで報道で知るだけだった震災や津波のことを実際に知れてよかったと。
次にどこに連れていこうかと考えたのが、「子どもほんの森遠野」。私たち、絵本や絵が好きというかわいい熟女(笑)。1・2月のこのコラムでも紹介した世界的建築家安藤忠雄が、この国に絶望しながらも希望を子どもたちに託した。たくさんの本を読んで、過去を学び、今を考え、未来を想像してほしいと、自費で設計・建築し、大阪に次いで2番目に遠野市に寄贈した図書館だ。
古い商家を改装した施設は天井まで絵本がディスプレイされ、現代美術のように美しく、居心地抜群。子どもの絵本や図書だけかなと思っていたら、自然から美術など13のテーマ別に見やすく、大人も楽しめる本が選書され、意外な本に出会い、ずっといたくなる。
3人で床で本を見ていた時に、キョウコがブッと屁をした。あっとうろたえ恥ずかしがる彼女に、「私もお店で出る時あるよ、お客さんも私も知らんぷりするけどね~」と、しょうもないフォロー。それからそれぞれ本棚を散策して、また自然と集まった時に、私がコンビニ若者しゃがみのせいかブッと屁が出た。キョウコは顔をくしゃくしゃに嬉しそうに、即座にナオコに手を振り、「今度はあんただよ」と。他の来館者もいる図書館で、屁こき熟女が声を押し殺して笑いころげるの図。
そこで思い出したのが、うちに小さな子ども連れのお客さんが、「またトイレ貸して下さい。すみません、ここに来るとなぜか子どもがうんちをしたくなって。よほどいい気が流れているんですね」と。…えっ、おいもって、うんちしたくなる空気感なのか?
ほんの森は靴のままの書架と靴を脱ぐ板の間があり、回遊しやすいよう途中に竹の下駄も用意されている。ここからは土足ね、3足並んだ竹の下駄の一番端に大きめの楽そうなサンダルがあって、これにしよう~と履いて本棚を眺めていた。しばらくして、「すみません…」と声かけられ、「そのサンダル僕のなんです」。青年がすまなそうにしている。えー知らずに履いてしまってごめんなさい!と言ったら、「紛らわしいのを履いてきてすみません」と平謝りで帰っていった。こっちが悪いのに、なんと謙虚な田舎の若者。そばでナオコに目撃され、ニタニタと笑ってた。
ここは文化施設とかで、本の貸出しはしないが、また来てのんびり本を散策したい。そして、スタッフの対応がていねいで素敵。心から楽しんで、喜んで、感動したナオコとキョウコ。ここに来るのが最初で最後かもしれない観光客を、これほどまで喜ばせる図書館って、なに?
私はいま新花巻図書館の移転問題に取り組んでいる。市は駅前立地を進めるが、図書館を普段利用しない人や観光客も満足する図書館は、便利さや蔵書だけではない。ついリラックスして屁も出てしまい、ウンチもしたくなるような居心地のいい空間だ!と実感した。屁(へ)屁(へ)(^^ゞ。
沿岸から遠野、温泉と濃密ないち日の夜は、簡単な手料理。最近得意のペペロンチーノを張り切って作ってる最中、前日に研いだ包丁がまな板から跳んだと思ったら、足の甲に直撃か、血がダラダラ。ギャー、二人は止血!と慌てるが、私は傷よりも、「あー、麺が茹で上がる、ぺ、ペペロンチーノがー」と、足は動かせず手はコンロ、いやコント。おば旅ならぬおだ旅で若返った。明日からまた笑顔で頑張ろうね、ファイト~。
「読書を通して得られる知識や体験は、スマートフォンで得る情報とは比べものにならないくらいの価値があります。(中略)自分の心に残る大切な一冊を探してみてください」
安藤忠雄の遠野開館に寄せたメッセージ。やっぱり忠雄はイイこと言うなあー。ファンになっちゃうわ(^.^)。