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 おいものせなかだより3・4月号   2022年3月5日(土) [おいものせなか通信]

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 先日お知らせした3月20日(日)の市政の勉強会は、27日(日)になりました。

 ウラコラム
 
  さらば!おまかせ民主主義 ~ 花巻市長選挙から

                       2022.3.4

 「民主主義ってなんだろう?」そう思ったのは、1月の花巻市長選挙で新人候補が現職に僅差で落選。「今回は花巻を変えられると思った」と、新人を熱く応援していた増子義久さんがきっかけだ。彼は大ショックのあと、3期目の上田東一市長の市政を監視する「さらば!おまかせ民主主義~花巻版見張り番」を立ち上げた。そうか、あってあたりまえに思っていた「民主主義」って?おまかせしていた?から冒頭の言葉になった。


 増子さんは元朝日新聞記者で在職中に各赴任地で喧嘩してきたという社内でも名物記者だったらしい。定年で42年ぶりに花巻に戻ってきて言った言葉が、「帰ったら花巻は腐っていた」(^_^;)。愛する郷土を良くしたいと奔走し、70歳で市議になり、市政の問題を鋭く追及してきた人だ。

 一方私は花巻に30年前から住み、どこか保守的・閉鎖的で閉塞感のある風土は変わらないだろうと半ばあきらめていた。18年前から市民運動で地域の出産環境の改善に政策提言や陳情を行っても、住民の声に耳を傾けない、動かない行政には段々やる気をそがれていった。

 それが、今回の市長選挙で市政の問題点が露呈され、「トップダウンでなく、市民総参加の楽しくなるまちづくり」を掲げた元市議会議長の小原雅道さんの出現に、私は期待した。小原さんはよく市民の声を聞き、賢治を生かした文化、芸術、教育や福祉と医療が整ったまちづくりも夢ではないと。

 しかし、現職は政党・組織がらみの選挙戦を展開。加えて投票率の低さもまずかった。2万人の花巻市民が現状を変えたいと新人に投票した一方で、有権者の半数の4万人は棄権した。投票率が低いのは、選挙に行っても変わらないと政治が遠く感じるから。国政も地域の政治も私たちの暮らしに関わる問題が決定されていくとわかれば、私たちの代表をしっかり選び、暮らしに反映されるはず。おそらく市政の何が問題なのかが伝わってなかったからだ。


 無関心・無知でいると、後でこんなはずではなかったということもよくある。今年はこれまでの社会問題の勉強会に、暮らしと政治も入れよう。7月に国政選挙と花巻市議選がある。市政も市民の目で監視し、私たちの意見が尊重される市民力を皆でつけていこうと。

 最近民主主義を意識したのは、2015年に安保法案反対で学生グループSEALDsが国会前で若者を何万人も集めてデモをした時。勉強会を重ねて、これは戦争法案だと気づいた若者たちのスピーチが素晴らしく、当時の安倍政権の政策にNO!と行動した若いパワーに感動した。


 なぜ市政の監視や勉強会が必要なのか?まちを活気づけるには市民の力が必要なのだ。今回の花巻市長選挙の争点は大きく3つあった。

 ①新花巻図書館の問題。新花巻図書館の場所をどこにするかも決まらず進展しない。一昨年1月に花巻駅隣接のJR跡地に住宅付図書館という構想が報道された。市民も議会も寝耳の水で驚いた。上田市長は、紫波町の官民連携で成功したオガールの社長岡崎正信氏に委託していて、岡崎氏が内閣府の会議で花巻に住宅と図書館一体の施設を手掛けていると発表したことで明るみに。市民の反対の声で「住宅」敷設案は一旦撤回。その後市や議会は市民の意見を聞く場を設けたり、ワークショップなどを開催。高校生は駅近くを要望するが、市民の多くはまなび学園と旧花巻病院の周辺を希望。上田市長は市民の声を聞いて決めると言うが、なぜか家賃が発生するJR跡地にしたいように見える?


 ②花巻駅橋上化の問題。花巻駅正面と西口の地下通路は古くて、汚く、防犯上も問題があると長年の懸案だった。その通路を新しく通すために、今の駅舎を解体して、改札をホームの上にする橋上化駅舎に38億円もかかる。上田市長は国からの補助金をもらい、市の負担は6億円で済むというが、私たちの税金。花巻駅は東北100選に入るという2階の窓がステンドグラスの駅舎。駅の利用者数を考えた時に、そこまで多額の予算をかけて、駅舎を新しくする必要がある?という声も多く、地下通路の問題は他に対策を考えられないのか。花巻は支援児童や引きこもりの支援がないと嘆く声が聞こえる。駅の予算をもっと福祉など困っている所に回せないだろうか。駅は町の玄関だから、花巻らしい景観を望む。


 ③上田市長のパワハラ問題。市職員が精神疾患で休退職が近年で倍になった理由に、行き過ぎた暴言などがあり、市長も一部認めている。普通ならば大問題になるのに、なぜか報道もされないから、多くの市民はその実情を知らない。昨年12月、1人の若者が議会に陳情してやっと調査が始まった。上田市長はできる人だから、自分と同じようにできない人に苛立ち罵倒してしまうのだろう。でも、それで精神を病んでしまった人の人生やその家族は…。

 上田市長が今回の接戦で気づき、市民不在の市政を転換してくれたらと願う。監視も要らない、期待できる市政に。


 18歳選挙権に合わせて出版された岩波新書編集部編「18歳からの民主主義」から抜粋する。
 
 「私たちの仕事は、選挙に行って投票することだけではありません。自分たちが選んだ議員がしっかり仕事をしているかどうかをチェックし、おかしいと思ったら要望を伝えよう。(略)私たちの意見を自治体の行政に反映させるためには議員に頑張ってもらわなければならない。国会も大切だが、福祉や教育など、身近な行政を担っているのは地方自治体なので、住民代表である議員の役割は重要だ。どのような人を地方議会に送るのかを真剣に考える必要がある」(大山礼子)


 「民主主義は道具だ。使わなければ錆びる。(略)家族は社会の最小単位。そこに民主主義がなければ、それよりもっと大きな社会に民主主義が拡がることはのぞめない。(略)日々の暮らしの中で、民主主義を使わなければ、民主主義は学べない。家庭で、学校で、地域で、話し合いをする、異見を言う、異見を聞く、少数意見を排除しない。いまのあなたの家庭や学校の中に、民主主義を学ぶ機会はあるだろうか」(上野千鶴子)


 子どもの頃から家庭や学校で、民主主義や政治と暮らしを学ぶことが必要だった。それが欠けていたから、総おまかせ民主主義になったのか?


 
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 おいものせなかだより1、2月号  2022年1月21日(金) [おいものせなか通信]

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 ウラコラム、この2日間で渡した紙通信と1行だけ違っています。間違い探し(*^^*)。

 
      人生は死ぬまで現役である

                            2022.1.20


 今年も無事に新年を迎えられた。私は20代は刹那的で、いつ死ぬかわからないから、見過ごせない世界の貧困や環境の問題に取り組もうと会社を辞め、NGOの世界に入った。収入はなかったが、毎日刺激的だった。当時筑紫哲也が編集長だった朝日ジャーナルでライターの仕事が入り始めた頃、東京から岩手に移住した。

 東京を離れる前に、詩人山尾三省の本を出していた出版社の社長から、「ここにいれば楽に生きられるのに、君はあえて困難な道を選ぶんだね」と激励のお手紙を頂いた。
 その意味が当時はわからなかった。地域に根ざして、エコな自給自足をして、途上国の貧困は先進国の消費とつながっている、地域から世界を変えたいと岩手での新生活に意欲を燃やしていたのだ。

 しかしまったく簡単ではなかった。頂いた言葉の意味が少しわかった。あそこで別の道を選んでいたら?もし別の夫を選んでいたら?(;^ω^) 幸せって何だろう…。



 そして、60歳で家族が全員卒業していき、喪失感と開放感の狭間で、助言ももらった。「もうお店をやめて、自分たちがいる東京で暮らしたっていいんだよ」と子ども。「これからは静かに無理しないでお店を続けていけばいい。いつかお迎えが来るから」と夫の友人。

 いやいや、まだ道半ば。ここで止まると、ここで奮闘してきたことは何だったの?温かい助言を跳ね飛ばして、いつのまにか年の初めに、たくさんの目標を立てていた。
 1年振り返れば、達成できなかったことの方が多い。でも、ひとつでもできたとことはよくやったと褒める。以前はできないことを数えて、ダメだなあと叱咤したが、やめた。

 明日も同じ1日が来るかわからないのに、悲観的にとらえるよりも、些細なことでも感謝し、感動し、笑っていた方がいい。これからは笑顔で生きよう。楽天的に。
 そう思えるようになったのは、年もとって、経験や苦労が肥やしに?悪くないものだ。



 90歳を過ぎても元気に自分の仕事を現役で続けている女性たちがいる。すごい、のひと言だ。正月に読んだ本から紹介する。


 日本画家の堀文子が90歳を超えて出した、「ひとりで生きる」は、「群れない、慣れない、頼らない」をモットーに、「私は人として、1ミリでも上昇して死にたいと思っています。だから自分を甘やかすわけにはいきません。死ぬまで現役の職人でいるつもりです」
 77歳でアマゾン、80歳でペルー、81歳でヒマラヤへ取材旅行に行っている。「私は岐路に立たされた時は必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています」と。

 「常識の世界に生きなかったから、長生きできた」という美術家の篠田桃江。私は若い頃から、彼女の抽象画のような書、墨の自由な発想の作品が好きだ。「100歳になっても、枯渇する、もう何もできない、そういうことはないですね」。104歳まで作品をつくった。

 作家の佐藤愛子は98歳。45歳で別れた夫がつくった莫大な借金を自ら背負い、やっと借金を返して建てた別荘に起こる心霊現象を20年かけて鎮めたなどの修羅場を踏んできた。「年をきれいに重ねるには?」の女性記者に、「年とるのにきれいもへったくれもない。そんなに知りたかったら、年とってみろ」。言いたいこと言うから元気なのだ(笑)。

 私の姉のバレエの恩師の渡辺珠実さんは88歳の今でも、毎週新幹線で新潟から東京へ牧阿佐美バレエ団の指導者向けレッスンに通う。自分の鍛錬を怠らず、創設60年のバレエ研究所で現役指導を続ける。背筋をピンと伸ばし、凛としている。


 彼女たちは自分が好きなことが若い頃からあって、才能もあり、現役で続けるのは羨ましく、特別?現実は、好きなことを見つけられない、また現実を前に諦めた人がほとんどの世の中だ、私も含めて。

 そんな中、テレビで見た94歳の「津軽の餅ばあちゃん」桑田ミサオさんは60歳で老人ホームの慰問で餅を持って行ったら、お婆さんが涙流して喜ぶ姿に、「餅一つで人を幸せにできるなら、一生餅を作っていこう」。
 小豆の栽培から始め、納得がいくまで5年はかかったという笹餅。75歳で起業し、年間5万個を一人で作っていた。「母が、10本の指は黄金の山だ。この指さえ動かしていれば、食べることに困らない。だから作れるものは何でも覚えておきなさいという言葉は本当だった」と、語る笑顔が美しい。


 作家の宇野千代は行動の人。98歳まで生きて、「人生は死ぬまで現役である、老後が存在する隙はない」「心に張りがある人間はボケない」。



 私が尊敬する中村哲さんの昨秋の新刊「わたしはセロ弾きのゴーシュ」を読んだ。

 「私は、幸運だったと思いますね。向こうにおれば、いわゆる欲望というのは、みんな、普通の人はあんまり持っていないですね。まず、健康で命があること、三度、三度、ご飯が食べられること、家族が一緒におれること、これ以上の望みを持つ人の方が少ない。(略)私は向こうで働いて、楽天的な気持ちになれる。命を落としてもくよくよしない。というこの楽天性、これはやはり向こうにいて幸せだと思いますね」

 心に沁みた。かつて私がフィリピンのフェアトレードの生産者を訪ねた時、「幸せって何?」と尋ねまくった。みんな「仕事があって、ご飯が食べれて、家族がいれば、それで幸せ」とすぐ返ってきた。えっ、その時は拍子抜けしたが、今わかってきた。青い鳥は実はすぐ近くにいると。

 
 この世界で生きていくのは本当に大変だ。日々悩み苦しみながらも頑張っている、それで十分。コロナ禍で女性の自殺者急増に心が痛む。死ぬな。助ける人はいる。いつかきっと良くなる。笑える日が来るから。

 夢や目標は無理になくてもいいし、もし、諦めている人には、堀文子の言葉を贈る。「本当にやりたかったことは忘れずに諦めないでいれば、何十年と月日が過ぎても、不思議とチャンスはやってくるんです。いくつになっても、誰にでも、諦めなければそのチャンスはやってきます」


 私の夢は…、20代で想った。
 つらい時に開きたくなる本か絵本を出す、世界放浪の旅、あとテラスのある家(笑)。諦めなければできるかな!


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 おいもだより11・12月号   2021年11月19日(金) [おいものせなか通信]

 今月の通信が、やっとできました。いつも裏を書こうとすると、時間ばかりかかって、足を引っ張ります(*_*;。だって、表だけだとお店の宣伝中心だから、面白くないもんねー。

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 ウラコラム

   沖縄・福島・岩手をつなぐチョコ 
                         2021.11.18

 9月末に、フェアトレードショップの仲間が岩手に来てくれた。私が前に、「みんな花巻に遊びに来ないかなあ」と言ったことで、フェアトレード団体ネパリ・バザーロ創設者の土屋春代さんが声かけしてくれて、横浜と名古屋から老舗ショップの岩手ツアーが実現した。

 来県当日の朝、名古屋組が空港に行ったら便が欠航で!急きょ新幹線にというハプニングもあり、初日に花巻の温泉を満喫した翌日は一路陸前高田へ。陸前高田は、ネパリ・バザーロが震災の復興支援で開設した椿油の製油所「椿のみち」がある。地元で伝統的な椿油をつくり、その食用の椿油と岩手産の原料とで作った化粧品やシャンプーは高品質で支援になる。そこでは2年前からチョコレートの製造も行っており、特別にその工程を見学させてもらい、被災から10年の陸前高田で、津波伝承館や発酵のカモシー、再建直後のジャズ喫茶も訪ねる旅を、昔の仲間とできたうれしい3日間。


 ネパリの土屋さんが1991年からネパールの貧困改善に取り組んで、20年経った時に起きた東日本大震災。すぐに全国から支援を募り、スタッフと一緒に毎週末仕事を終えて、横浜から岩手・宮城に駆けつけ、被災地の人々を食事と温泉に招待する温泉ツアー等を行った。その活動を約6年間続けた後は、地元の産業復興が必要と、ネパール支援で培った経験から、陸前高田で椿油の製油所を、野田村では山ぶどうワインのワイナリーの開設に奮闘。それらの事業を徐々に軌道に乗せ、次に土屋さんは気になっていた沖縄に足を運ぶ。沖縄戦の悲惨な歴史や、戦後も米軍基地等の問題を抱え、厳しい状況の沖縄で、何かできることはないかと模索し、そこで頑張る人々に出会って、2017年に、「沖縄カカオプロジェクト」を立ち上げた。


 それは、沖縄産カカオをもとに新たな産業を創り、障がいがある人や一般就労が難しい人たちに仕事の機会を生みだすことが目的である。また、そこで福島原発事故による放射能汚染地域に住む子どもたちの保養施設「球美の里」の支援も行う。ただ、沖縄産カカオの実の収穫まではまだ何年もかかるため、インドの有機カカオを輸入し、沖縄の黒糖でチョコづくりをスタートさせた。このプロジェクトは活動を応援してくれるカカオフレンズによって支えられている。それは、チョコレートの製造量が限られているため、予約中心に販売することで、作業する人たちが安定して仕事ができるため。現在第3期のカカオフレンズを募集している。一口1万円の支援で、たくさんの雇用にもつながる。

 
 今回初めて、「椿のみち」でチョコレートの製造過程を見学させてもらった。開設当初に訪ねた時は、椿の実の手作業での選別作業にとても大変な仕事だと思ったが、カカオバターを使わないチョコはとても難しく、毎日の気温と湿度を見極めて微妙に機械の設定を変えるという。作り始めてまだ2年というのに、若いスタッフの職人技に驚きの連続。これだけ手作業で丁寧に作られているとは。「ただ美味しいだけでなく、沖縄と福島と陸前高田の支援になるチョコです!」と、地道な作業だが仕事にやりがいを感じているスタッフの笑顔に、こちらもパワーをもらった。

 
 今回来県してくれた仲間、名古屋の風”s(ふ~ず)の土井さんは、愛知県女性総合センターの中でお店を構え、フェアトレードのほか人権・女性等の学習会を精力的に行い、講演もこなしてきたパワフルな人。同じく名古屋のショップ、オゾンの杉本さんと私は、実は30年以上前にフィリピンバナナの農薬問題で出会っていて、旺盛な探求心と知識に脱帽だ。横浜のグリーンバザールの菅波さんは、ネパリ・バザーロの復興支援や沖縄への研修ツアーには必ず参加して、いつも笑顔で地道にお店を続けている。


 私たちはフェアトレードショップの第一世代と言われていて、社会問題の矛盾や不公正・不平等を何とかしたいという市民運動的想いからお店を始めた世代。まだみんな勢いがあった頃は、お店同士の交流会もあったが、本当に十数年ぶりの多分これが最後の岩手ツアーかな…。時代と共に閉店や縮小する店もあり、「第一世代で昔と変わらずお店を続けているのは、おいもさんくらいかも」と言われて、えー、こうなったら、フェアトレード不毛の地と言われた東北で、伝説の店になったるわ~(笑)。
 
 
 さてフェアトレードチョコといえば、今年はピープルツリーが30周年を迎えて、30周年特設サイトが設けられている(※)。ネパリ・バザーロは来年30周年を迎えるし、ウインターチョコの第3世界ショップは今年35周年だ。日本で初めてフェアトレード事業を始めた年に同団体にいた私もフェアトレードに出会い35年だが、おいもは再来年で満30周年に。
 

 私がフェアトレードを始めた頃は、この活動が広がれば世界はきっと良くなるだろうと信じてきた。しかし世界で難民や貧困は増加の一途。私も働けど~楽にならず、じっと手を見る。気づけばとうに還暦を過ぎて。私がやってきたことは何だったのか?と。でも、途上国の人の困難や、命をかけて人のために働く、デニ・ムクウェゲ医師、中村哲医師、土屋春代さんらのすごい生き方を思うと、私は命の危険もないし、毎日ご飯もお酒もありがたく頂けている。自分に与えられたこと、できることをやっていこう~(*^。^*)。



(※)「私たちは、世界を変えるのに「大きな」ビジョンは必要なく、世界を良くしたいという明確な想いと地道な作業のみが、変化をもたらすことを証明しました。私はこれからも、フェアトレードの推進、環境に配慮した持続可能な生活スタイルやビジネスの推進、生態系の搾取を阻止するための活動を決してやめたくありませんが、世界を良くする方法が書かれている魔法のような本はありません。それぞれが自分の考えを見つけて、自分の能力を最大限に発揮しましょう。あなたが考える世界を良くする方法は、私とはまったく違うかもしれませんが、目指すところは一緒です。すべての人々と地球にとってサステナブルな世界に向けて、さらに歩みを進めていきましょう。」 ピープルツリー社長・共同創設者 ジェームズ・ミニー




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 おいものせなかだより9,10月号   2021年9月11日(土) [おいものせなか通信]

 おいものせなかだよりができました!なんと、今回は久々に裏コラムがあります(*^^*)。

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 ウラコラム  

       女に生まれたというだけで
                           2021.9.11

 アフガニスタンが気になる。中村哲さんのぺシャワール会などの国際支援もあって、この20年間で生活も良くなってきたのに。もはや自由や民主主義どころか殺されるとおびえる人々の姿に苦しくなる。特に女性は教育や就労の禁止、外出もままならない。世界の人口の2割の国の飽食と環境破壊の陰で、戦争や紛争はなくならず、国を追われ難民が増えている現実が…切ない。


 10月11日は、「国際ガールズデー」。世界には厳しい環境に置かれている少女、女性たちがいる。児童労働、人身売買、児童婚、性暴力、性器切除、身内による殺人など。その多くは貧困が原因で、女に生まれたというだけで差別され、教育・就労の機会はおろか、自由や人権もない。「国際ガールズデー」とは、男女の不平等、女性に対する暴力の撤廃と女子教育の普及など、若い女性たちが直面している問題に取り組むことを訴えるために国連で定められた記念日で、毎年この日にイベントを行っている。


 その10月に、私は性暴力の問題を考える映画の上映会を行う。その映画は、「女を修理する男」。以前おいも通信やブログでも紹介した、アフリカのコンゴの性暴力の被害者を命がけで治療する婦人科医のデニ・ムクウェゲ医師のドキュメンタリー映画である。2020年1月の通信のウラコラム「利他と照一隅」で、中村哲さんの訃報と共に紹介した。


 コンゴで女性の大規模レイプは紛争の兵器と化し、赤ちゃんから80歳の女性まで、その残虐さは膣に爆薬など目を覆いたくなる酷さ。20年で10万人の女性被害者の治療にあたり、世界に真実を伝え、女性の人権尊重を訴えたことで命を狙われても、被害者の再起を応援し闘っている医師。コンゴの大規模性暴力の背景には、携帯電話やパソコンの材料になる鉱物資源があり、毎日使っている私たちとは決して無関係ではない。


 「世界の悲劇に背を向けるのは共犯です」「性暴力を続けさせているのは、社会の無関心とタブー視と沈黙。沈黙を破ることが性暴力に対する絶対的な武器になる」と、ムクウェゲ医師は2018年ノーベル平和賞受賞式のスピーチで力強く訴えた。


 映画邦題タイトルの「女を修理する男」に、まるでモノを修理するみたいと私ならずとも違和感を持つだろう。「コンゴの性暴力と紛争を考える会」の米川正子さんが邦題について説明している。

 「映画制作会社から意訳せずに直訳をという依頼で、原題は英訳"The man who mends women"です。なぜ「修理」なのかの理由は、一点目に、ムクウェゲ医師は女性の身体を当然モノ扱いしておりませんが、残念ながら世界の一部の男性は、女性の性を経済的・政治的な「道具」(つまり、敵の弱体化、人口減少や資源へのアクセスを目的とする)として認識しているのが現状です。だからこそ「性的テロリズム」のような行為がコンゴだけでなく、他国においても長年続いています。二点目は、もし「女を治療する男」というタイトルだと医療的な解決だけに限定してしまうのですが、ムクウェゲ医師はそれに加えて、ボロボロに壊れている国家の構造全体(行政、司法、ビジネス、女性蔑視なども含む)を修理する包括的な解決策を求めています。ムクウェゲ医師が世界各地でアドボカシー活動を続けているのもそのためです」(映画ホームページより)


 さて、9月12日まで「叫ぶ芸術~ポスターに見る世界の女たち」が、石鳥谷町図書館のギャラリーで展示されている。ℐ(あい)おんなの新聞で連載している、世界の女性政策を研究してきた三井マリ子さんが集めた女性の人権に関するポスター展だ。見逃した方に、ポスターとコラム60編をまとめた素晴らしいカタログをお勧めする。(税込800円) 

 ウイットの利いたタイトルと写真。「政治は男のものではない(フランス)」「リップスティックで男女平等(フィンランド)」「グローバル化より女の権利だ!(マレーシア)」「じゃあ、政治家の顔を女性に変えたら?(ベルギー)」。


 三井マリ子さんはかつて「ママは大臣 パパ育児」という本を、1994年にヨーロッパ10ヵ国を回って、男女平等実現への取り組みを取材して書いた。人口は男女比半々なのだから、政治も女性議員を40%以下にしないというノルウェー発祥のクォーター制(割り当て)は、今や多くの先進国が導入している。日本はといえば9.9%で世界166位。フィンランドやニュージーランドでは、30代の女性首相が誕生しているのに。日本はジェンダー指数が153か国中120位、先進国の中では最下位。


 政治家に誰がなっても変わらないと若者は無関心だが、国民の意識が国を変える。この秋は衆議院議員選挙。私たちの暮らしは政治と直結している。棄権せずに女性や障がい者など社会的弱者の立場に立って政策を行う女性や政党に投票しよう。


 途上国だけでなく、なくならない女性の抑圧に、私はここで締めくくる言葉が見つからず、デニ・ムクウェゲ医師の来日講演(2017)でのメッセージを再び紹介する。

 医師は好きな日本の言葉「利他」を掲げ、「人生で大切なのは、自分のことだけを考えないということ。他者の人生をより良くするために、他者の苦しみを和らげるために、自分には何ができるのだろうかと考えるということです。そうすると自分が損したように感じるかもしれませんが、何も失ってはいません。あなたはもう大きな恵みを受け取っているからです」 


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 おいものせなかだより7、8月  2021年7月17日(土) [おいものせなか通信]

 おいものせなかだよりを遅ればせながら、出しました!
 今回裏面のコラムはなしです。表面のみIMG_6460[1].jpg  
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 おものせなかだより3・4月号  2021年3月23日(火) [おいものせなか通信]

 やっとできました。それも3月もう下旬なのに、3、4月号とは(^▽^;)。

 明日発行ですが、いつもは紙を先に出してからブログUPですが、特別に!(笑)

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 裏面はコラムはまたもや書けなくて、このまま白紙にしたくない!とブログから。
 お客さまの中には、紙を楽しみにしていても、ブログを見ない方もいられるので。
 やはり紙の通信、手書きを大事にしたいけど、ブログで伝える情報量と速さは勝ります。

 こんな感じ。ブログと同じ内容なので、ブログ見てくれている方には小さくても。

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 おいものせなかだより11・12月  2020年11月20日(金) [おいものせなか通信]

 今月のおいもだよりがやっとできました。大幅に遅れてしまいました。

 裏面を、先月に続いて空白にしたくないと思い奮闘しましたが思うように書けず、諦めて今回も表面だけの商品紹介ばかりの通信です。ちょっとつまんないけど(*´з`)。

 まだ1か月以上あるのに、早々と1年の感謝の言葉と、年末年始のお休みも書いています。

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 おいものせなかだより9.10月  2020年9月19日(土) [おいものせなか通信]

 しばらくブログの更新が空いてしまい、失礼いたしました。  おいものせなかだよりができず、特に裏面コラムが書けずにうんうん唸り(*_*;、隔月発行にしてウラ白紙はダメだと粘って書いては消しをしていましたが、これ以上延びると来月のイベントのお知らせが遅れるので、今号はオモテ面だけです。ザンネンですが。 IMG_4731[1].jpg  今日は、ずっと気にしていた通信が片面ですが出せてホッとしました。    またブログもできる範囲で空けすぎないようにやりますので、よろしくお願いいたします。
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 おいものせなかだより7&8月  2020年7月5日(日)  [おいものせなか通信]

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ウラコラム

 タネが危ない?食卓が危ない?
                       2020.7.3

 女優の柴咲コウさんのツイートで、水面下で進められていた「種苗法改正法案」に一挙に関心が集まった。今国会では黒川検事長の不祥事から一旦見送られた問題。しかし、種苗法改正ってなに?とても複雑で難しい。賛否両論あり、どちらも「日本の種を勝手に流出させたくない」「日本の農業を強くしたい」というのは共通するらしい。
 
 吉田太郎著「タネと内臓」の本をもとに、この問題で反対派の立場から発言している印鑰智哉(いんやくともや)氏、山田正彦元農相、鈴木亘弘東京大学教授の情報からまとめてみた。

 まず、種苗法改正に反対する側の懸念は次の7項目である。

 ①種子法廃止(公共種子事業の廃止) ②種の譲渡(これまで国や県が開発した種は企業がもらう) ③種の自家採種の禁止(企業の種を買わないと生産できない) ④非GMO(遺伝子組み換えでない)表示の実質禁止 ⑤全農の株式会社化(非GMOの分別輸入は目障りだから買収) ⑥除草剤(ラウンドアップ)の輸入穀物残留基準値の大幅緩和 ⑦ゲノム編集の完全な野放し(勝手にやって表示も必要なし)

 この「7連発」は、すべて特定のグローバル種子企業への便宜供与のための一連の措置だという。

 このグローバル種子企業というのは、遺伝子組み換え市場シェア90%の米国のモンサント社(2018年バイエル社が買収)だ。遺伝子組み換え食品の消費と関連して、不妊、アルツハイマー病、糖尿病、皮膚病、自閉症等あらゆる病気が激増している。遺伝子組み換え農作物とセットの除草剤ラウンドアップも発がん物質としてEUをはじめ世界中が禁止に向かっている(※1)。


 ロシアは独自の遺伝子組み換え食品研究からいち早くその危険性を見抜き、反遺伝子組み換え食品ネットワークを立ち上げ、プーチン大統領は2020年までの有機農業による国家自給と栄養価が高い有機農産物の輸出戦略を行った。
 米国においても、子どもたちの5人に1人が糖尿病や肥満等になった反動から、年率30%の伸び率で有機農業ブームとなり、遺伝子組み換え農産物やラウンドアップをボイコットする母親たちの運動が高まっている。
 フランスでは、除草剤があまりに危険なために3年後には販売が規制され、モンサントが安全だと宣伝するコマーシャルは虚偽であるとして最高裁判所が有罪判決を下している。

 同じ除草剤の安全基準値が何の根拠もなく、2017年にひまわり油の残留基準値がいきなり400倍に規制緩和された日本(※2)では、売り先がなくなりつつある毒物ラウンドアップの在庫処分のために国民の健康が軽視されている。

(※1) ラウンドアップが原因で悪戦リンパ腫を発症したと訴えていた米国の末期がん患者の主張を認め、2018年サンフランシスコの裁判所はモンサントに約320億円の支払いを命じた。米国では同様の訴訟が5000件以上起こされている。

(※2) 厚生労働省食品基準審査課は「名前は言えませんが、ある農薬メーカーから基準値を上げてほしいとの申請があったのがきっかけです」と答えている。日本のメディアでは全く報じられないのが問題。農水省の担当者も知らなかったという。メディアには企業の圧力で、報道すると謝罪文を書かせられた。


 除草剤グリサホート(商品名ラウンドアップ)は、土壌の微生物を殺して悪玉菌を増やし、健康な植物も病気になり害虫も増え農薬を使わざるを得ない仕組みになっている。遺伝子組み換え作物に残留するグリサホートが、人の腸内細胞にも土壌と微生物の関係と同じように作用する。人の免疫力の7割は腸内細菌によるもので脳や精神にも影響する。免疫力が落ちると様々な病気やうつ病、アレルギー等を発症する。


 モンサント社をドイツのバイエル社が買収したのは、遺伝子組み換え食品を食べさせ、病気になった人をバイエル社の医薬品で治す需要が増えるのを見込んだ新しいビジネスモデルとの見解もある。これらの事は、おいもで上映した遺伝子組み換えの映画の内容と合致する。


 「タネが危ない」の著者で固定種のタネ屋さん野口勲氏は、野菜の種のほとんどがF1(※3)品種になっていることを問題視する。在来種と違って均一に育つから大量生産や大量流通には向く。しかし、自家採種できないから農家は毎年、種子会社から種子を買わなければならない。更に、野菜の種は9割が海外産。そして世界では種子企業の寡占化が進んでいる。

 野口氏は若い頃手塚治虫氏の元で「火の鳥」の初代担当編集を担った。生原稿から伝わるメッセージの根幹が「生命の尊厳」にあることを知り、改めて家業のタネ屋を継ぐことを決意したという。

 2001年製作のアニメの中で自然農法の創始者・福岡正信氏をモデルにした翁の言葉は、「世界を支配するには武器を使うよりもタネや食料を独占する方が遥かに効率的だからな。(略)土が弱るから肥料がいるようになる。肥料をやった畑ほど虫に食われ、餌を与えすぎた家畜ほど病気になる。その虫や病原菌を殺すために薬を撒いたり飲ませたり。姿ばかり大きくて弱くなった作物を人間が食べたとしたら…」

 虫も草も一緒になって野菜や米を育てているのではないか。約20年前のアニメは自然と調和した小規模農法の大切さを先駆的に訴えている。


 農薬を多用する大規模農業の大量生産のやり方は、均一でどこでも同じものを作って、売るために安さを競う。価格競争に負ければ廃業して町も土地も廃れていく。それよりも固定種の種で、地域に適した個性ある有機農産物を作る小規模農家が増えた方がいい。

 食べる人の健康と自然環境にも配慮された地域は、豊かで人が集まる。だから、種苗法は農家だけの問題ではない。私たちの食卓に直結する問題。私たち消費者もこの問題を考え、十分な議論を重ねていく必要があるのではないか。

 農家が自由に生産できれば地域も活性化し、私たちも安心して食べる喜びがあり、次世代に豊かな食と暮らしの環境を残すことにつながる。それが強い農業だと思う。(※3)一代限りの新品種


 私たちにできることは、不ぞろいでも少し高くても(病気しにくい体になるので医療費や余計な出費が減る)栄養と味がある有機農産物を地域で買って地域でお金を回すことだ。さて、遺伝子組み換え作物の特徴の「害虫耐性」は、その作物を食べると害虫が死ぬということである。ゾッ。



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おいもだより5&6月    2020年5月13日(水) [おいものせなか通信]

 おいものせなかだよりができました!半月近く遅れてしまいました。

 裏のコラムは、5月のフェアトレード月間にちなみ、展示会とフェアトレード・ファッションのこと、コロナで苦しい状況にいる生産者の今を伝えます。

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ウラコラム

   途上国の生産者に支援を

                  2020.5.13

 今年は新型コロナウイルスで世界中が苦しい状況です。私たちでさえ厳しい状況なのに、途上国で貧困の中にいる人たちは?フェアトレードの生産者は?と気にしていたところ、フェアトレード団体が現地の情報を伝えてくれました。生産者の今の情報はおいものブログから見てください。


 フェアトレード団体の5月のフェアトレードデーのイベントは中止、直営店も休業で、フェアトレード商品も停滞し、現場の生産者も厳しい状況にあるということです。
 うちで春夏服の展示会も、岩手は感染者もなく、おいもはいつもすいてる空間なので、少しでもフェアトレードの服を売ろうと例年通り行いました。お客さまからは「勇気を持って、こういう楽しいことをやってくれてうれしいです」と。フェアトレード団体からも感謝されました。


 フェアトレードの服がとても意味があることについては、改めて熱く書きたいところですが、2017年に行った「ザ・トュルーコスト~真実の代償」の映画上映と講演会の後に書いた「フェアトレードファッションってなに?」を、ぜひご覧ください。(2017年5月のおいものせなかだよりウラ)


 「ザ・トュルーコスト」は、バングラデシュの縫製工場で2015年4月26日に起きたビル崩落事故で数千人の犠牲を出し、その事故を元にファストファッション(低賃金・長時間労働で大量生産・大量廃棄の服)の裏側を描いた映画です。

 私たちのお買い物の裏には人権侵害や健康被害、環境破壊もあります。観た人はショックを受け、あらためて自分たちが選ぶ服や食べ物が世界につながると痛感したという声が寄せられました。


 途上国では4,000万人もの縫製従事者はただでさえ最低限の賃金で日々の暮らしにも事欠くのに、さらにこの事態による影響を受けています。

 フェアトレード団体も、今自分たちにできることとして、仕事ができず収入が途絶えている生産者の支援を始めています。そのひとつが、ピープルツリー&グローバルヴィレッジのクラウドファンディングです。途上国の生産者は苦しい中でも職人や地域の住民にできる限りの生活支援などを行っていますが、それもいつまで続けられるかと不安を募らせています。

 
 どうぞ皆さまのご協力をお願いいたします。おいものせなかも、ネパリ・バザーロのサポート会員の支援は続けて、ピープルツリーのクラウドファンディングには今回展示会の売上げから支援をするつもりです。
 
 クラウドファンディングの詳細はこちらから。http://magazine.peopletree.co.jp/archives/8935 5月1日から5月31日まで受け付けています。


 フェアトレード団体ネパリ・バザーロからの報告とピープルツリーの生産者のメッセージを紹介します。 

 ※フェアトレードとは、途上国の貧困で苦しむ人々の生活の自立を支援する目的で、彼らの環境に配慮した手工芸品や食品を適正価格で買取・販売する公正貿易。「お買物で交際協力」とも言われます。

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 ネパール全土では3月24日からロックダウンが続いており、5月18日までの予定です(5/9現在)。棒を持った警官が厳しく取り締まっています。国際線・国内線の運航停止は5月末まで続きます。2015年4月25日に発生したネパール大地震から丸5年、未だ復興途上のネパールに、このような困難が降りかかるとは…。

 
 町では、人々が身を寄せ合って、支え合って暮らしています。地震で家が壊れたものの、建て直すお金がなく、応急処置のまま暮らしている方も多くいます。奥地の村々では、未だ避難キャンプで暮らす方々、壊れた家で凌いでいる方も…。中には、政府からの支援金で家を建てられた方もいらっしゃいます。しかし、自分の土地でなければ支援対象にはならないため、地震前から住む家がなく、行きついた地で生活していた方々には支援金が届きません。そのため、壊れたままの家をトタンの屋根で覆って暮らされているのです。衛生的な水も手に入りません。

 自然災害も、感染症ウィルスも、公平ではありません。元々あった社会の不平等を、さらに拡大しています。


 社会保障のないネパールで、皆、これまでどれほどの困難を乗り越えてきたのだろうと思いました。10年に亘る内戦、武力衝突や治安悪化による外出禁止、頻発するバンダ(ストライキ)、長時間の停電、ガソリン不足、物資の不足と高騰、大地震や洪水などの自然災害・・・希望が見えない中、さらに今までにない長期の外出禁止です。

 今は感染が広がらないように、経済的にも精神的にも、命が守られるようにと祈るしかありません。生産者の方々にとって、仕事が再開されることが希望となっています。(ネパリ・バザーロ代表 高橋百合香)

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 タラ・プロジェクト(インド)も4週間以上にわたり休業状態が続いています。短時間で生活必需品を買いに行く以外は誰も外出を許されていないので、すべてのスタッフと職人たちは家にこもっています。農業や漁業など限られた産業は稼働することを許されていますが、働く場所を失った日雇いの労働者や工場で働く人たちに対する打撃は計り知れません。その影響はもちろんタラ・プロジェクトの職人たちにも及んでいます。


 職人たちは工房の設備を使ってアクセサリーを製作しています。在宅で仕事をすることは難しく、輸送手段も断たれているため、全く生産ができない状態です。政府の支援や社会保障もないので、私たちのような小さな事業者が生き残っていくための資金繰りはますます厳しくなりそうです。

 周辺の小さな工房はすでに多くが廃業し、このままでは近い将来ほとんどが消えてしまうでしょう。私たちだけでなくアメリカやヨーロッパの依然厳しい状況により、海外からの受注が減ってしまうことも懸念しています。


 こんな状況ですが、タラ・プロジェクトではスタッフやすべての職人たちと定期的に連絡を取り合い、コミュニティで活動するグループを通じて、支援を必要としている人びとに炊き出しや食料品を配る活動を続けています。また、家を失い自治体が用意したシェルターに避難している人たちへマスクを配りました。

 こんな時だからこそ、人のためにできることをしています。しかし残念ながら、限られた資金の中では全ての人を助けることはできません。


 早く状況がよくなって、職人の手による製品がたくさん売れるようになることを願っています。みなさま、支援と連帯をありがとうございます。(タラ・プロジェクト代表 ムーン・シャルマ)




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