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  おいものせなかだより B面       2015年11月21日(土) [おいものせなか通信]

         映画と元ビリギャルと、スピーチ     2015年11月21日 

  先月の通信や今月もなかなか裏面を書けず、でも穴をあけたくない。では、4月に書いたビリ
 ギャル娘のスピーチを載せるか…、うーん内容が私は気恥ずかしいのと自慢に思われないかと
 躊躇してたら、「私は泣きました。絶対いいですよ!」とお客さんに背中を押されたが、突然スピ
 ーチだけでは?補足の文章がないとね。先日の上京の旅が、ちょいと私によかったので、また
 どうでもいい私的な話題を前文にします(^^ゞ。
   

  もともと、11月14日(土)に、私が理事として関わるNPO法人「お産サポートJAPAN」で勉強
 会があっての上京だった。菊地栄さんが出産環境と政策のテーマでお話される。きくちさんの
 お産関係の著書はうちでも扱ってきたし、私の地域医療の活動の参考にできたらという目的もあり。

  ちょうどその日の午前中、フィリピンのゴミ処分場や貧困の地域で暮らす人々を支援するNGO
 「ソルト・パヤタス」の勉強会もあった。私が2年前に現地で1日スタディツアーに参加したが、
 深い問題で未消化だったので、もっと知りたいと参加した。東京事務局の若者主催で、皆学生の
 ときに現地で活動に参加し、社会人になってからもボランティアで、子どもたちの教育を支援しよ 
 うと図書館建設のプロジェクトを応援する。正規スタッフはマニラでの活動が多いため、こうして
 若者が国内で活動をサポートしてくれるとは、あらためて、ソルトは21年間地道ですごい仕事だ。


  翌日はお気に入りのアップリンクで映画を観た。今年9月に94歳で亡くなった伝説の報道写真
 家の追悼上映。「ニッポンの嘘・報道写真家 福島菊次郎90歳」。フォトジャーナリズム月刊誌
 「DAYS JAPAN」で知っていたが、やはりすごい人だ。ヒロシマ、水俣、安保、三里塚、フクシマ
 と、写真から伝わる真実。「戦争は起きるよ」亡くなる直前まで、安倍政権がいつか日本を戦争に
 駆り出すことを危惧していた。上映後監督のトークも聞けた。

  ちなみに、「DAYS JAPAN」は定期購読者によって支えられている。今、日本のジャーナリズム
 が危機に瀕している中で、「本当の情報」を伝える使命を担っている稀有な素晴らしい雑誌である。
 ぜひ、皆さんも定期購読で「DAYS JAPAN」を支えましょう。年間7700円で、世界の不条理な
 真実が見える。ぜひ、すぐにでも。DAYS11月号の福島菊次郎追悼特集号や福島菊次郎の写真
 集もおすすめだ。その夜は、早くに家を離れた息子たちとも合流し、久々に鍋を囲み、何でも対等
 に話し合える年齢になり、心配は尽きないが成長を実感した夜だった。

  翌日もアップリンクで公開直後の映画「ザ・トゥルー・コスト ファストファッション真の代償」を観た。
 この映画は、大量生産・大量消費の服ファストファッションの裏側で、途上国の労働者の過酷な
 労働環境を描いたドキュメンタリー。皮革工場の汚染水で皮膚のダメージがひどいインドの女性、
 月160ドルの最低賃金要求するカンボジアの工場労働者のデモに、警察が実弾発砲して戦場の
 よう。酷い現実とその一方で、フェアトレードやエシカル(倫理的)ファッションで世界を変えようと
 する人々、ピープル・ツリーの代表サフィア・ミニーも出演する。うちの娘も一緒に観たが、自分も
 買ったことのあるファストファッションのブランド「H&M」「フォーエバー21」「ユニクロ」「GAP」など
 の企業名が次々。どう感じただろうか。


  その夜、娘の部屋に入るなり、「せっけんにした。やっぱり怖いからね」うちから送った粉せっけん
 がある。そういえば、前は部屋干しのせいかずっとヘンな臭いがしてたが、今回は臭くない。あれは
 合成洗剤の香りが逆に臭くしてたのかも?夕飯はから揚げと筑前煮がリクエスト。他に、すき昆布、
 切干大根、小松菜の煮びたし、おから炒りなど、以前は喜ばなかった地味な和食をおいしいと。
 ついでに作り方も教え、小分けにして冷凍。

  そして、予想外にすっきりときれいにしている部屋で心地よく布団に入ると、この部屋も2年で
 引っ越したいという。はー?やっと見つけた(4月号)、駅にも大学にも近くて台所が広いマンション
 で格安で、何が不満なの?「2口コンロがいい、トイレと風呂が別がいい、窓の外が道路で開けら
 れない」「学生には十分だよ、アジアでは狭いひと部屋で家族10人くらいで暮らすし、お母さんは
 昔風呂なしの6畳一間で生活してたんだよ」「お母さんの時代と違う。家賃や生活費は私のお金で
 何とかしているんだから、いいでしょ!」はいはい、確かに仕送りはしていない。奨学金とバイトで
 何とかやっているようで、そこはえらいが。それにしても今の子は、贅沢だ、足るを知れ!
 今日の映画で何も感じなかったかと内心ブツブツ言って就寝。


  翌朝学校に送りだして、私も最後の一日を楽しんで帰ろうかと、ふと野菜箱を見たら、前に送った
 青菜が腐り、洋梨も腐りかけ、りんごもしわが出て、さつまいもも手つかず。夕べの揚げ油の残りを
 早めに使ってと言ったものの…。にきびを気にしながら、お菓子が好きな娘。よしっ、洋梨はジャムに、
 粉と卵で簡単りんごケーキ、残った油で大学いも、古そうなきゅうりは塩麹漬け。キャベツはザウワ-
 クラウト風に。結局台所でお昼過ぎまでかかり、それから手紙を書いた。

  来年後期にアジアへ短期の必須留学がある。運がいいのか、実力か、希望するタイの難関大学
 に行けることになった。勉強も頑張ってるねと誉めつつ、部屋のことも、留守中家賃払ってそのまま
 か、引越しするいい所があるのか、よく調べて考えて自分で決めなさいと。


  今回随分いい母ぶりを書いたが、自分も野菜は腐らせる、仕事にかまけて子どもは放任、基本的
 なことを日頃から教えておくべきだったと反省の多い私。娘のスピーチや「私なんて生まれてこなけれ
 ばよかった」と言われてハッとしたことも。でも、いつだって子も親も一生懸命なら、これでいいのだ。

  それにしても、勉強会や観たい映画(福島菊次郎は1週間延長だった!)など、ラッキーなことが
 重なり、元気をもらった、家出旅行(^_^;)だった。感謝。

 ※本編(笑)の娘の高3の時の英語の弁論大会のスピーチ全文(日本語)は、紙面の都合で
  載せられず、ブログに掲載します、すみませんm(__)m。

  ソルト・パヤタス  http://www.saltpayatas.com/
  DAYS JAPAN  http://www.daysjapan.net/
  UPLINK アップリンク http://www.uplink.co.jp/

      
  
          My Great Mother


  「お母さんは何の仕事をしているの?」
  「フェアトレード関係の仕事です」
  「フェアトレードって何?」
  「よく分からないです」 

  私は母の仕事について聞かれるのが好きじゃなかった。
 私の母は、周りの友達の母とは違った仕事をしているし、説明してもよく分かってもらえないと
 思って、答えをにごしたり、話をそらしたりしていた。


  母は発展途上国の人たちが作った手工芸品や農産物を販売する仕事をしている。
 私が小さい頃から母は仕事ばかりで忙しい毎日だった。夕食後も遅くまで仕事をしていた。
 私が母と一緒に出掛けたりする時間はあまりなかった。母と一緒に出掛けたりする友達が
 うらやましかった。人一倍さみしがりやの私はさみしくて仕方がなかった。

  私は母が私と出かけるのが好きじゃないんじゃないかと感じていた。私はそんな母の仕事が
 あまり好きではなかった。母がどんな仕事をしているかは、何となくは分かっていたけれど、
 利益がそんなに上がるわけでもないのに、なんで自分や家族よりも他人のためにそこまでする
 んだろう、と感じていた。

  たまに私が好き嫌いをしてごはんを残せば、「世界には食べたくても食べられない人たちが
 たくさんいるんだよ。」と言われた。
 「自分は自分。比べないで」と私は反発した。ほんとはもっと母と一緒にいたい。
 楽しくいろんな話をしたいのに、素直になれなくなっていった。

  中学を卒業し、私は不来方高校に入学した。英語が好きで、外国語を学びたいと思い、外国語
 学系を選んだ。クラスメイトはボランティアに興味を持っている人がとても多く、様々な活動に熱心に
 取り組んでいる。世界の問題について考える機会も度々あった。改めて世界の現状、世界が抱え
 ている問題を目の当たりにし、考えていくうちに、私の心に火がついた。今まで何度も本気で考え
 る機会はあっただろうけど、無意識に考えないようにしていた。そんな私を変え、後押ししてくれた
 のは、クラスの仲間たちだった。


  少し私の母の話をさせて下さい。母は大学卒業後、会社に入社した。その4年後、「悔いのない
 人生を送りたい」という思いから、一か月間、たった一人でインドやタイなどの貧困地帯を訪れた。
 それをきっかけに、母は勤めていた会社を辞めた。不公平な環境や社会の矛盾に対する怒り、
 憤りといった、様々な思いを抱き、母は活動を始めた。
 世界の貧困問題を何とかしたい、その一心で。
 
  それ以来母は、国際問題を中心に様々な活動に取り組んでいる。フェアトレードショップも
 オープンから20年以上続けている。取り扱っている商品は、途上国で製造、生産されたもの。
  途上国では多くの人たち、特に女性や子供達が安い賃金で重労働をせざるを得ない状況に
 あり、その日一日を生きるのがやっとの生活を送っている。そのような人たちに適正な対価が
 支払われている 商品を販売することで、彼らの経済的、社会的自立を支援することがフェアト
 レードだ。寄付などの経済支援とは異なる。作り手と買い手の対等な取引をする企業、団体が
 増えれば、それだけ多くの人たちの生活が改善される。

  母のこれまでの活動は、たくさんの国で、数えきれない人たちの人生に希望と笑顔を与えてきた
 だろう。母の仕事の素晴らしさ、母がなぜあんなに必死に働いているのか、母の思いがようやく
 私にも理解できるようになった。コズの仲間たちと一緒に活動し、考えているうちに。

  以前の私は世界の状況、問題について「なんとなく知っている」程度だったが、本気で何とかし
 たい、という思いが私のなかで大きく、強くなっていった。自分ができること、すべきことは何だろう
 と本気で考えるようになった。しかし同時に複雑な感情、様々な葛藤に悩むようになった。

  学校に行けない子が世界には数えきれない程いる。彼らは勉強したくてもできない、ごはんも
 十分に食べられない。しかしそんな人たちが欲しくても手に入れられないもの、したくてもできない
 ことが、私のまわりにはあふれている。そしてそれを私たちは当たり前のように思い、時にはめん
 どくさがったり、嫌だと思ったりしている。

  なんでそんなに違うんだろう。生まれた国が、生まれた場所が違うだけで。そのことが悔しくて、
 嫌でたまらなくなった。誰だって人間らしく、幸せに生きる権利があるはずなのに、貧しさのために、
 人間らしく生きられない、そしてそのような生活から抜け出すチャンスすら得られない。貧しい環境
 に生まれたために。

  そんな人たちが、世界中に十億人以上もいる。彼らはどうすれば、そのような貧困の連鎖から
 抜け出せるのか。彼らのために、私たち、豊かな国に住む私たちだからできること、いやすべきこと
 があるはずだ。

  不来方での学び、ボランティア活動の中で、そのような思いは確信になった。それは決してお金や
 モノを送る支援ではない。彼らが自ら考え、行動し、生きていく、自立を支援すること。今日を生きる
 のに必死な人たちが、明日のこと、未来のことを夢見て、笑顔で暮らせる家庭、地域、国を増やして
 いくこと。そのために自分にできることがしたい。母がこれまでしてきたように。


  私は今、Free The Children JapanというNPO団体に所属している。貧しさのために過酷な労働
 を強いられている子供達に、教育の機会を提供し、貧困の連鎖から抜け出す手助けをする団体だ。
 私は仲間とここ岩手で活動を始めている。

  そして一つの大きな夢を見つけた。将来フェアトレードのファッションブランドを設立することだ。
 フェアトレードで扱う商品が、もっと魅力的なものになれば、もっとたくさん売れて、途上国の人たち
 の自立を支援することができる。そして世界の若い人たちにももっとフェアトレードや世界の問題に
 関心を持ってもらえる。貧困、飢餓、差別、児童労働、戦争といった世界の問題に。
  今この瞬間を生きる人たちと一緒に笑顔になりたい。世界を変える力になりたい。母のように。
 それが私の夢だ。


  この夢、そして母の偉大さに気づかせてくれたクラスメイトに出会えたことに、心から感謝している。
 そしてなにより母のもとに生まれたことに感謝している。いつも近くにいるのに、ホントは好きなのに、
 素直に向き合えなかった母、そんな母が今は世界一のかけがえのない、尊敬すべき存在になった。
 母からの大きな影響と愛情を受けた私は、これから母の思いを受け継ぎ、世界の助けを必要として
 いる人たちのためにすべきことをしていきたい。


  「お母さんは何の仕事をしているの?」今なら答えられる。誇りと自信を持って。

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