きのうの朝、おいもで昨年講演にお招きした、三田照子さんが亡くなられました。
 
  数日前「今年も三田さんのお話会はやりますか?」と、お客様に聞かれたばかり。
  満99歳。あと半年で100歳になるところ。お元気だったようで、急なことでした。
  
  もっとお話を聞きたかった。照子さんの生き方やお人柄を本当に尊敬していました。

  2001年の新聞の投稿エッセイをたまたま読んで感銘して、ずっと切り抜きをとって
  いました。お葉書を書いて、電話でお話もしましたが、お会いするまでには至らず、
  ようやく15年目にして、昨年三田さんのお話会を企画してはじめてお会いすること
  ができました。なんで、15年もかかったのだろう。

  なぜ、もっと早くにという悔いと、昨年ご高齢にもかかわらず2回も来て頂いたこと、
  間に合ってラッキーだったという想いが、昨日から交互にぐるぐる回っています。

  戦時中の満州で、生きるか死ぬかの大変な状況の中、夫の善右衛門さんは、ひたすら
  難民を助けることに命をかけ、それを納得し、支えて、子育てをしてきたのです。
  なのに、「苦しいと思ったことはない」と、楽観的に前向きに生きてきた照子さん。

  昨年の2月と9月のブログでその様子を書いています。おいものせなかだよりにも、
  一昨年の12月に照子さんとの出会いや昨年10月にお話しの内容を書いています。

  「私共は、何があっても戦争だけはしてはならない。戦争ほど、全ての人を不幸にし、
  悲しませるものはない」と、言ってられました。

  あらためて、きのうから気落ちしていて、いろいろなことを考えていました。
  今日は、病気で入院しているお客さまのお見舞いに行ってきました。

  人は元気そうにしていても、いつ何があるかわからない。自分自身も含めて。
  あたりまえのことだけど、今日1日を大切に過ごし、大切な人とはたまに会い、
  親には元気なうちに親孝行をした方がいいと、つくづく思いました。

  照子さん、ごくろうさまでした。ご冥福をお祈りしています。  

          昨年9月、99歳の誕生日に