SSブログ
がんと闘いたくない癌闘病記 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

 こおりごおりな人    2018年9月22日(土) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 明日は彼岸の中日。お墓参りですが、明日・明後日は通常通りの営業です。
 日・祝日は10時~17時半。

 コージさんが残した片付けもハンパでないのだが、もう見ただけで気が遠くなる。こんな風に、自分も子どもに大変な片づけを残したくないと、自分のも毎日モノを減らすことに。お店は資料と紙ごみの山、フー(>_<)!

 そしたら10数年前に、ネパリ・バザーロにfaxを送った紙が出てきて、大体送ったら捨てるのも多いんだけど、読んだら、クク、なるほどこれはとっておいたのね。

 ファクス.jpg

 注釈:「タイトル決めて」は、たぶんネパリに講演に招かれた、そのタイトルのこと。
地方で長年頑張っているフェアトレードショップおいものせなかに小売りの奮闘記をと。

 定休日かな、午前中からキノコ採りに行ってきて、午後3時から飲んでいたのか!?
 ひとり遊びなんて、私が夜遊びに行くとこなんてない町だから、本屋だろう。
 
 前の晩にケンカしたら、翌日も口をきかないが、きっと渋々「ねぇ講演のタイトル考えてよ」と言ったら、「ふむ、紙とペン貸して」とさらさらと書いたのを見て笑っちゃったんだ。

   あったかい こうり

   いっぱい売っても 小売り

   もう こうりごおり


 ダジャレや冗談をよく言う人だった。私はしらーとしたが、初めての人は爆笑してた。
 タイトルやキャッチコピーも実に上手かったから、私が詰まるとよく助け舟を出してもらった。それらが聞けなくなったのが、残念だ。



 それが、きのう会えた。彼は死んでから、夢に出て来てほしいのに、出て来なかった。 

 どこか広いところを二人で歩いていて、私が嬉々として話しかける。
 「帰ってきたのね。みんなにお知らせしなくちゃね~。また闘病中です!いや、生き返りました!て言う方がいいかな(笑)」

 彼は何も言わない。そして、海のそばの広い駐車場でとまっていた、運転席と後ろの席に見知らぬ黒っぽい男が乗っている乗用車に1人で乗り込んだ。「え?」

 「ねえ、どこに行くのー?」と何度声をかけても、窓も開けず、返事もしない。
 置いてかれた。そこで、目が覚めた。あ、夢だったんだ…。

 会えたかと思ったら、また行っちゃった。
 やっと出てきたと思ったら、寂しい夢だった。

   もう こおりごおり だわ



nice!(2)  コメント(0) 

 悪魔のささやき    2018年8月29日(水) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 昨日新潟絵屋の個展から戻りました。はじめのような賑わいはなかったけれど、行ってよかった。新田コージ展は明日30日で終了です。明日は企画者の平井さんが東京から駆けつけてくれます。

 きっと忘れてしまうので、今回印象に残ったエピソードを書きとめておきます。



 「あ、これがお父さんですか?」会場のコージさんの遺影写真を見て、来場の方。

 「また~!(笑)」と絵屋スタッフのTさんが苦笑して、「こちら奥様ですよ」。

 私の化粧と若っぽい格好のせいか、よくコージさんの娘と間違われる。はじめから「妻です」と言うと「若いんですねー」と言われるので、いやいやと年齢を暴露する。

 コージは髭がない方が若く見えるのに、自称画家になってから髭を剃らず、娘を医者に連れていった時は、受付から「お爺さん」と呼ばれて、娘が恥ずかしがっていた。

 そういえば、3月に病院で看護師さんから「どういう関係ですか?」と聞かれて、二人でびっくり。色んな方がいるので、皆さんにこういう聞き方しているんですと看護師は言っていた。
 コージはまたかと「3号・4号・5号です」と言えばよかったねと笑ってた。(注:2号は愛人)

 昨日、長岡から古い友人が来てくれて積もる話をした後、来場のお客さんに気をつかい帰ろうとするのを、「一緒にお昼食べよう」と引き止めて、近くの海老ラーメンの海老寿へ。

  エビラーメン.jpg 海老塩と海老坦々麺

 前回来た時に、ここが美味いのを知って、帰る前にぜひ海老ラーメンを食べたかった。

 コージはラーメンとチャーハンが得意だった。何にもなくても、煮干しだしのシンプルなラーメンとパラリと炒めたチャーハンは天性のもの。ヘタなラーメン屋より美味い。

 私は自分でラーメンを作るのをやめた。食べたい時は、外で美味しいのにしようと。

 
 それから、個展会場にまだいたい気持ちを残して帰路に。秋田経由の特急電車。
 秋田駅で盛岡行きの乗り換えの合間、ぶらっと駅ビルに入り、酒店で足が止まった。

 秋田のお酒のたくさんの品種の陳列がきれい。どれも美味そう。新潟と秋田は米どころだから酒が美味い。コージがいればお土産に買うんだけどな。

 「飛良泉(ひらいずみ)」「高清水」、コージが秋田の美味い酒と言ってた銘柄だ。
 それも秋田限定で超辛口とは、岩手では買えない。うぅ、一本くらい買ってみるか。

 仏前にあげて、私がチビチビ楽しもうかなとルンルンと酒店を出て改札に向かうが‥。

 「1本でいいのか?」「足りるのか?」「後悔しないのか?」
 
 まるで悪魔のささやきだわ。


 今度ほしくても秋田に買いになんて来れないし。( ..)φ●[×][×]~。

 改札を目の前にして、あと10分。間に合う、と踵を返して再びビルの酒店へ。

 今度は高清水の辛口を買って、岩手の画家Sさんが絵屋に送ってくれた岩手の酒ももらって荷物が重い。何しに行ったのかね、あはは酒をかついで帰ってきた。

       酒.jpg

 コージの祭壇に更に酒が増えて、いつどれから飲もうかと、一人ほくそ笑む。
 でも、なかなか手をつけられないんだよね、ホントは。コージうれしそうだし。

 秋田駅での悪魔のささやきは、コージにちがいない。

 「秋田の酒飲みたいよ~」と。


 「酒減らせ(; ・`д・´)」と怒って、一升瓶に日付と線書いてたこともあったな。

nice!(2)  コメント(0) 

 テレビの後に鼻水   2018年8月23日(木) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 きのうも今日も暑くて、ほんとクソ暑い、マイッタというくらい岩手では珍しい暑さ。
 自分でもこんなにできないのかとあきれるほど、トロトロと仕事してました。

 コージさんがのんびりやってれば、喝入れてたのに、ひとのことはよく言うよね。

 今日はカフェのお客さんが5ヶ月の赤ちゃん抱っこで、ママがリラックスできるように、ついあるカゴでどうかなと。初めてバスケットに入った赤ちゃん固まってました(笑)。

       IMG_0599[1].jpg 


 夕方お店が終わると、コージさんの祭壇で報告して、目はお酒に。冷やは旨いよな。
 うー、コージのお酒、ちょっと小瓶だけね、今日はついにお酒を頂きました。ふふ。

 早速冷凍庫で冷やしてて、その間娘が録画してたドラマを2本続けて見てた。
 娘はすでに見てるのに、途中から一緒に見て、どこかうれしいのかなと。

 というのは、コージが元気な時は、私たちがテレビを見ていると不機嫌だった。
 1人疎外されてるように感じて、話したがっていたが「おとう、早く寝て」と言われて。

 コージさんはさびしかったと思う。でも、私たち、酔っ払いは遠慮したかった。

 たまにお酒の相手、話で盛り上がる夫婦のヨコで、娘が一人テレビっ子に。
 私は大抵、夕食後もお店の通信やブログやイベントのことで余裕がなかった。
 家族が自分のことでバラバラだったから、家族団らんなんて、とうの昔のこと。

 
 新潟の個展が始まり、ひと息ついて、家でボ~とドラマみて、「あー面白かった!」
 さあブログを書こうとコージのお酒を開けて、「あーうまい!」と味わって、、、
 涙が止まらなくなった。まいったなあ。ずっと鼻かんでる。グスグス、チ~ン!


 コージさんがいなくなって、何を見ててやってもうるさく言われない。
 自由だけど、のびのびできる、解放感は全開だけど。でもね…。

 コージさんをさびしくさせ、また娘とも和やかに過ごせなかった時間があった。

 そんなことを考えると、妻・母としてうまくできなかった自分が悪かったのか。
 やめよう、仕方ない、その時その時で必死にやってきたのだから。


 
 新潟で中学校の同級生が6人集まってくれた。
 昨秋、私はずっと疎遠にしていたのに、ブログを見て、うちの店に来たいと旅行に。
 うれしくて少しのお世話をしたら「楽しかった」と今でも言ってくれて、飲み会に。

 地元の簡単なレストランで、確かにメニューは少ないが味はまあまあいいし。

 そこで同級生の一人が、「フミコー、こんなロクな食事しかなくて悪いね!」と申し訳なさそうに大きな声で言ったものだから、「え!ちょっとー、店員さんに聞こえるよ!」

 さすがに、ときどき天然と言われる私でも、エッ!?なんかヘンだなと気づいた。
 まったく悪気なく言ったので、もうおかしくて大笑い。私たちホントおばさんだわ。

 同級生はそれぞれに嫁姑の問題を抱え、悲惨な状況でもすごく働いてて、明るく笑い飛ばす。すごいのだ。私の夫を亡くしたことは、彼女たちの前では悲惨さが薄れてしまう(笑)。

       蓮2.jpg


 遠くから5月に弔問に来てくれて、今回新潟の個展に来てくれた友人が言った。
 「やっと笑えるようになったね、よかった」。

 そうだった。コージさんには悪いけど、この夏はあなたの個展で忙しくて、悲しむヒマがないよ。代わりに、頑張っているからね。

 
nice!(0)  コメント(0) 

 蓮の花       2018年8月14日(火) [がんと闘いたくない癌闘病記]

  初盆です。今日はお墓参りに行きました。
  昨年までは、コージさんが先頭に立って、いくぞーとかけ声かけてた。

  とはいえ、一家の主(一応)は特別何もせず、大体奥さんがお花から供え物の煮しめや団子、お茶とかをこまごま朝早くから準備するのですが(^_^;)。

 今年は、帰省してギリギリまで寝てる子たちを、「あと30分で出るよ、起きてー!」。
 お盆に子どもが勢ぞろいもあまりなかった。毎年お盆は仕事だ海外だと帰らなかった。
 
 親が死んでみんな自分の都合を後回しにして来た。悲しいけど、嬉しい今年。
 しかし、遊ぶかテレビか寝てるかで、「お母さんはお父さんがいない分大変なのよ、手伝えー」とプンプンの私。夫もだったが、いなければそれなりにやるのに、いると期待して不満を言ってしまうんだね。


 お墓参りの後に寄った親戚の家には蓮の池があり、「蓮の花あげるよ、持っていく?」。
 子どもは遠慮したが、私は「ほしい!」と言い、ついていった先の蓮の池の光景に絶句。

      蓮.jpg

 蓮の花の世界は別次元のような美しさ。コージさんもこんな世界を通ったのかな。

 蓮の花のつぼみと実が入っているのをいただいた。蓮の葉は日よけの帽子にかぶった。
 「このシャワーヘッドのようなの何ですか?」とお嫁ちゃん。アハハ、「実だよ」。
 

 おととい、「初盆ですよね」と素敵なお花をいただいた。感激。

 最近忙しかったせいか、時間のせいか、少し元気になってきたような、気がする。

        IMG_2577[1].jpg 

 今日は草取り、植物の寄せ植えなどに汗をかいて、少しでも居心地のいい場所に。



nice!(1)  コメント(0) 

 忙しい夏、梅干し    2018年8月10日(金) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 今日、やっと梅干しの梅を干しました。やったー!昨年は雨で干せる日がなかったのですが、今年は毎日炎天下で、いつでもドンと来いという梅干し日和。

     ume 干し.jpg

 毎年、コージさんに干す場所のセッティングをしてもらうのですが、今年は一人で、朝からワタワタと忙しい。カメを開けて梅をざるにとる時に、蜂のようなカナブンのような虫が一匹ブンブンとうるさい。私のそばで、梅をザルにとる作業にブンブンまとわりつく。

 「コージさんなの?手伝いたいの?」とここまではよかったが、あんまりうるさいから、ついに、「うるさい!ジャマ!あっちいけ!」と言ってしまった、笑。

 梅に関しては、梅を取りに行くのから、紫蘇もぎ、干している時も一個一個ていねいに裏返していたから(基本彼はヒマなのである、笑)「オレの役割は大きかっただろう」と言いたかったのだろう。

  ハイハイ。今になって、随分陰で手伝ってたと、よくわかりました。


     IMG_2560[1].jpg

 昨日緑の寄せ植えをお悔やみにいただきました。今植物が癒しになっている私は、「うれぴ~!」の連発ですが、コージさんが「冬まで持つかな、殺すなよ」と絶対言ってる。

 今日は、コージさんの祭壇にお花もいただき、本当に有難うございます。

 
 ここ数日、今月17日からの新潟絵屋の個展の案内を送る作業で連日連夜格闘してました。けっこう今まで送ってたはずなのに、住所録が整理されてなくて(*_*;、彼のメモとか芳名帳をめくって、もう勘で(笑)書いて送って、ふー。

 彼が生きてたら一人でやっていたDМ発送作業を代わりに、まあよくやったね。


 というわけで、ホッと一息、グラノーラを、久々に作りました。

      IMG_2555[1].jpg

 おいしい~。アルコール片手にブログ書きながら、ボリボリ。

 材料は、有機オートミール250g、菜種油50㏄、メープルシロップ大匙3と1/2、ドライフルーツ&ナッツ、それだけでいい。おいもで全部そろいます。

 昨日からオーサワセールが始まり、お店もあと2日でお盆休みです。今年はのんびりと故人を偲ぶつもりが、7月から梅、8月は個展とセールと予想外に忙しくなり息切れして、故人のご飯もそっちのけ(苦笑)。

 忙しいと寂しさや悲しみを忘れるのですが、お花を頂いたり、気にかけてもらうともうダメですわ。

 
 
nice!(2)  コメント(0) 

 植木屋もどき     2018年7月23日(月) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 ここ数日、植木屋になっていた。駐車場の元気だったコニファーが、コージさんが亡くなった頃から、枯れ始めて枝葉がみな茶色くなってしまった。なぜだろう?ショック!

 枯れた太い木を抜くのも大変で、コージがいたらすぐ頼むのだが、私では無理だなあと毎日眺めていたら、緑の葉が所々出て来てる…!あれ生きてるの?

 で、はじめて、両手ばさみを買ってきて、自分でやろう。下から2番目に安いの、はは。
 使ったことないから使い方わからなくて、エイエイッと空気を切って空振りしてたり、トホホ。 とにかくちからまかせに、茶色く枯れた枝葉を次々切っていった。

 コニファーは針葉樹だから、手にチクチク刺さり、切った葉っぱが頭の上から落ちると、胸や服の中にチクチクが入る、靴下にも。朝夕涼しい時に3日かけてやった。緑の葉を残して、これからも生きるだろうと。

   コニファー.jpg

 右が同時に植えたコニファー。左だけがてっぺんからほとんど茶色く枯れてしまい。
 
   koni2.jpg こんな姿に

 上手いのか、下手なのか。ま、こんなもんでしょ。よくやったわ、にわか植木屋。
 ただ、買って3日使った両手ばさみ、なんかキレが悪くなったような。。。

 コージが見てたら、絶対言われる。
 
 「下手だな。ちからまかせにやればいいってもんじゃない」  

  「オレは切るのが上手だからな」

  「ハイハイ、人を切るのがね」


nice!(1)  コメント(0) 

 おらおらでひとりいぐも 2018年7月22日(日) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 「この先一人で、どやって暮らす。こまったぁ、どうすんべぇ」

 63歳で芥川賞受賞の新人、若竹千佐子さんは岩手県遠野市出身で、はじめて書いた小説「おらおらでひとりでいぐも」は、全編東北弁で夫を亡くした70代の桃子さんの悶々とした心の内と、そこからの気づきを描いている。

 ふだん私は賞をとったり、ベストセラーになった本は買わないのだが、たまたまこの本を送ってくれた人がいて、しばらく本は読めなかったが、ようやく最近手にとってみた。

 ふーんと読み進んで、あるページに来て、おら、ぶったまげた。


    14日(土おらおらで.jpg
  70 おらおらで.jpg

 まったくその通りといわばかり文章表現に何度も読み返した。
 まあ、若竹さんと桃子さんは、最愛の夫を亡くしたというところはちょっとちがうが。
 最愛でなくても、おんなじことを思うんだな、夫婦というのは複雑だ。

 この本は初の玄冬小説といって、青春小説の対極だという。そうなんだ…。

 若竹千佐子さんhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180421-00010001-jisin-ent

nice!(0)  コメント(0) 

 年に一度の梅しごと     2018年7月19日(木) [がんと闘いたくない癌闘病記]

  年に一度の梅仕事。今日で漬けるところまで何とか終わりました。

 15日(日)に、江刺まで夫のワゴン車で一人ではじめての遠出で慎重に運転。その日おいも用に収穫された新鮮な完熟梅を受け取って帰ったのが夜の7時過ぎ。前日から緊張してましたが、まず無事にやれて、よかった。

    うめ.jpg

 翌日は、次々と予約の方が梅を取りに来られ、発送もあり、目が回るような忙しさ。
 うちの梅は、翌日の定休日に前年の梅干しを移してカメを空けて、今日漬けた。
 いつもコージにやってもらっていた梅のヘタ取り作業は、量が多いので適当に(笑)。

 後は、月末の赤紫蘇の収穫を待ち、その後土用干し3日で終わり。

 今日こそは更新しよう!と書き始めたら、いつのまにか寝てしまい、電気つけっぱなしで、化粧も落とさず、目が覚めたら夜中だった…(;^ω^)。

 梅を取りに行くことやヘタ取り、カメや重しの準備など、その後の赤紫蘇はまとめて来るので、予約分に計って分けたり、紫蘇の葉をもいだり、随分コージさんにやってもらうことの多い梅しごとだった。

 仕方ない、これからは一人でやっていくのに慣れなきゃ。常連の若いママさんが、紫蘇を1キロずつ分ける作業を手伝います!と言ってくれた。本当にありがたい、うれしい。


    IMG_0959[1].jpg 昨年の風景

 昨年がんが見つかる秋までに、薪をたくさん準備してくれていた。今年の分まで。
 不思議だ。カンがいい人だから、虫の知らせもあったのかなぁ。薪をありがとう。



nice!(1)  コメント(0) 

 がんと玉川温泉       2018年7月1日(日) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 今日から7月。もう今年も半分終わり、暑くてマイッタ。病気の方は尚更大変ですね。

 先日見た、NHKの「ドキュメント72時間」という番組は、秋田の玉川温泉でした。
 天然のラジウムで病気を治そうと、全国から末期癌などの方が岩盤浴の湯治に来ます。
 http://www4.nhk.or.jp/72hours/x/2018-06-22/21/1454/1199221/ 

 「生きるために生きる」と言う、がん患者たち。

 その中で印象に残った、一人の女性がいました。

 「こんな山歩きでないふつうの格好で恥ずかしいんですが…。病気でない私がいてすみません」と、周りの病気を治したいという方たちに申し訳なさそうにして、神奈川からはじめて玉川温泉に来たという55歳の女性。

 「5年前に夫を癌で亡くしました。生きている間にここへ連れてきたかった。喉頭がんで見つかった時は余命1ヶ月と言われ、あっという間でした。思い出をつくる時間もなかった。いる時はあたりまえのように思っていたのに、いなくなってから気づくことが多くて」と、静かにインタビューに答えていました。


 5年たって、一人で、どんなことろか確かめたくて…玉川温泉に。
 喉頭がんで余命1ヶ月とは。なんだか、切ないくらいに、気持ちがわかる。

 治療のしようがない、医者に見放されたがん患者が来るというラジウム温泉。もしかして、無理やりにでも連れてきたら、余命は延びたのではないかという想いが、この方にはずっとあったのだと思う。

 ああすればよかったとか、私の力が足りなかったとか、その時は精一杯やってても、どれだけ自分を責めて、悲しみとさびしい日々を過ごしてきたのか。。。涙が出てしまった。


 私はきっと1、2年もたてば、サバサバとして一人の人生を歩いていくと思うけれど。
 まあ、夫が残した品物の山は、1、2年では片付かないかも、はあ~"(-""-)"。
 

 「ま、オレを思い出しながら、ゆっくり片づければー」

 死んでからもなお、妻に苦労をかけ続ける夫。

  あの世で会いたくないわ。
 

nice!(0)  コメント(0) 

 介護サービス      2018年6月22日(金) [がんと闘いたくない癌闘病記]

 6月の市の広報に、介護保険のことが大きく載っていた。「みんなで支える介護保険」。そこには、保険料を納めましょうというだけで、利用の仕方や案内はどこにも書いてない。

     IMG_2409[1].jpg

 「まだ、知らないで布団で寝ている人は多いんですよ。ほんと、もったいないですね」と言うのは、介護ベッドをレンタルしてくれた福祉用具の会社のAさん。40歳から国民が国保の中で介護保険料を払っているということもはじめて知った。

 行政は、年金もだが、保険料を払えと積極的に言うが、いざ受給する年齢になっても、また介護サービスに関しても、向こうから支払う時はこちらから聞きにいかない限り、わざわざ教えてくれない。それがおかしい、腹が立つ。

 
 コージさんが65歳になった昨年の秋から、介護保険料の納付書が届くようになり、介護なんてまだまだと思っていたから、その金額にびっくりした。
 
 コージさんが1月に腫瘍の痛みと食べれなくなった時点で、在宅でのレンタルベッドや入浴介助などの介護サービスを、行政のケアマネージャーがいるから聞いておいた方がいいよと友人からアドバイスを受けていた。

 
 だが、1月末からさわうち病院に4週間入院し、3月は在宅で花巻病院の訪問看護を受け始めたが、まだ歩けたので、特にベッドの必要も感じず、看護師さんも「介護でなく看護です」と。何事もははじめてでよくわからなかった。

 コタツに座って「骨が当たって、お尻が痛い」と言いはじめて、床ずれになる寸前で、看護師さんとケアマネさんから、床ずれ防止のマットレスやクッションのレンタルを提案された。介護保険の申請をしていなかったので、認定までの1か月は自費になるかもと。


 3月10日過ぎ、銀座の個展のDМハガキを1枚1枚自分で宛名を書き、同時に「オレじゃないとわからないから」と確定申告を2日間夜なべ作業でやった後、自分の仕事をやりきったかのように、布団から起きれなくなった。

 水もジュースも少ししか飲めなくなり、何とか少しでも口からものを食べさせたい、布団に寝たきりでは喉を通りにくいから、起き上がって食べれるようにと、やっと電動の介護ベッドを入れたのは3月20日。その直後に、行政の介護審査委員が入り、要介護5と認定された。(1と5でどっちが重いのかもわからなかったが、たぶん5が一番重い)


 最新式の電動ベッドは背もたれの角度も床からの高さもリモコンで操作でき、私も世話をするのに予想以上に快適であった。もっと早く利用すればよかったなぁ。結局もう食べられず、4日間使っただけで残念だった。

 コージさんが亡くなった日に、またいつもの布団に寝かせたいという希望に、Aさんは休日にもかかわらず、盛岡からベッドの解体に来てくれた。

 そして、1か月後の支払いの時、介護保険で1割負担なので、ベッドは月額9000円が900円、マットレスが400円、サイドテーブルは200円という安さにびっくり、有難い。

 「せっかく保険料を払っているのだから、皆さん利用した方がいいですよね」と、Aさんの対応に感謝すると、冒頭の「そうなんです。まだ知らないで布団で…」という言葉になった。介護保険料の使いみちで介護サービスはほんの一部で、あと何だっけ、教えてもらったけど忘れた。

 いずれ、みんな払っているんだから、必要になったら利用した方がいいです。いや、介護をする側、される側にならないのが一番、ですが。
 
 
      IMG_9269[1].jpg

 


nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 がんと闘いたくない癌闘病記 ブログトップ